アブルッツォワイン紀行6 漁師レストラン・トラボッコの夜
「トラボッコ」というのはアブルッツォからモリーゼ、プーリアの海岸線に見られる一種の漁師小屋のことだ。木で足場を組んだような形状の小屋はアドリア海に沿って走る電車の中からも見えるので、あるいは見たことがある人もいるかもしれない。アブルッツォ州オルトーナからヴァストにかけての沿岸部は「トラボッコ」が多く点在していることから「トラボッコ海岸 Costa dei Trabocchi」と呼ばれており、独特の風景を形作っている。また、現在ではこれを改装して海の上で食事ができる水上レストランとなっている「トラボッコ」もあるのだ。 歴史家の研究によればこの「トラボッコ」は古代フェニキア人が南イタリアに持ち込んだ漁の形態だとされる。樫の木を海底に打ち込んで土台を作り、海上数メートルの高さに小屋を設置。そこから2本の長いアームを伸ばして間に網をかける。漁をするときはその網を手動で水中に下ろして魚をとるシステムだ。アブルッツォの海岸部には古くから存在していたが、文章として初めて登場したのは18世紀のこと。しかし「トラボッコ」はプロの漁師ではなく、アブルッツォに多い羊飼いたちの冬の漁師小屋として作られ始めた。というのも海に不慣れな羊飼い達は船で沖に出るよりも、安定した小屋から魚をとるという漁法を選んだのだ。 この夜訪れたのは「プンタ・カヴァッルッチョ」、風が強くて時々店ごと揺れるような悪天候だったが樫の木で作った足場は意外と丈夫。水上通路を恐る恐るわたってレストランにたどりついた。まず最初の前菜はクオッポと呼ばれる紙に包まれた魚介のフリット。本来は屋台などで食べるストリートフードだが、これを女性スタッフが手籠に満載し、一人一人手渡してしてくれるのだ。ヒシコイワシやムール貝、オリーブを中につめた揚げ物など、食前酒として登場した地元ビオワインメーカー「アグリヴェルデ」のスプマンテとよくあう。 ホタテ貝のパン粉焼きと小イカの印籠詰めという日本人にはおなじみの料理が続き、さらに小さな巻貝を大量にトマトで煮た前菜が登場した。これをひとつひとつ楊枝でほじくりだしては時折スプマンテをすするという至極のひととき。気づけば目の間には大量の殻が山盛りになっていた。イカやタコ、ヒシコイワシのマリネなどの冷たい前菜の後には大量のムール貝「ズッパ・ディ・コッツェ」がやってきた。これには酸味が心地よい土着品種の白ワイン「ペコリーノ」をあわせる。新鮮なムール貝は白ワインで蒸しただけなのになんともいえない旨味が凝縮。これも気づけば殻が山盛りになっていた。 パスタはアドリア海伝統の味、ピリ辛トマトソースを使ったエビのパスタ「ブザーラ」だ。これは海を挟んだ対岸のクロアチア沿岸部発祥ともいわれ、ヴェネツィアやアブルッツォなどアドリア海沿岸部でよく食べる、国境を超えた伝統料理だ。この時点ですでに大満足だったのだが最後に登場したのがスズキのロースト。養殖ではない新鮮なスズキのフィレに薄切りのジャガイモを包み込むように乗せ、オリーブオイルとパン粉をかけて焼いたもの。これがまた秀逸だった。ジャガイモのおかげでスズキには柔らかく火が通り、ジャガイモはスズキの脂を吸って極上の付け合わせへと昇華する。 サービスしてくれた女性スタッフに「素材が全て新鮮でとても美味しかった」というと「ありがとうございます、うちでは毎朝網を下ろしてますから」というではないか。なんと「プンタ・カヴァッルッチョ」は毎日網を下ろして魚をとり、昼夜の食事時には目の前の海でとれた新鮮な魚介類を食べさせてくれる現役の漁師小屋レストランだったのだ。魚介類の新鮮さはさもありなん。稀有な食事ができる「トラボッコ」、中部イタリアを訪れたなら一度は体験してみることをおすすめする。 https://www.traboccopuntacavalluccio.it/  

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