肉とパスタの伝統をとことん追求するエミリアの Osteria del Mirasole
ボローニャからローカル線で3駅20分、サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェートに着く。駅を出るとすぐ傍に工場らしき建物があり、線路の引込み線が工場敷地に続いている。この工場を除くとほとんど何もない駅前の並木道を歩いて行くと、左手に工場建物の正面が見えてくる。リバティ様式っぽい線画で麦と葡萄が外壁一面に描かれていて、ちょっと美しい。Google mapによれば、サン・ジョヴァンニ製粉所、ということだが、ひと気はないし、何しろ道ですれ違う人もほとんどいない。8月の、それも週末、人がいないのは当然だろう。でも、もしかするといつだってあまり人はいないかもしれない。ボローニャからほんのわずか離れただけなのに、たいそう田舎に来たような気持ちにさせる街だ。 歩くこと15分近くで目指すトラットリア「Osteria del Mirasole」に着く。いかにも古そうな看板と佇まい。なのに、ガイドブックのシールが入り口にベタベタと貼られているところだけが浮いている。いろんな意見や考え方があるだろうが、このガイドブック掲載印のシールには何度目にしてもやはり違和感しか覚えない。何気なく通った店先にシールがあれば、へぇ、こんなところにもこういう店が、と思うけれど、だから入ろうという気持ちにはならない。このシールは誰に向けたどんなメッセージなんだろうといつも思う。 ふと視線を感じて振り返ると店の対面によしず張のテラスをしつらえた庭があり、その入り口付近にカメリエーレが一人立っている。控えめな笑顔で、こちらですよと誘われ、好きな席をと言われてテーブルを選ぶ。真っ白なテーブルクロスと庭の木々の緑のコントラスト、それ以外にはほとんど何もない清潔なテラス席だ。夏場はここがメインの客席になるが、それ以外の季節は16世紀に遡るという古い建物の一階が客席となる。入り口には古いキャッシュレジスターが置かれたデスクとスピリッツが並ぶ棚、そこから細い廊下の奥が2室の客席。冬場は常に暖炉に火が熾り、開業以来店主がこだわる肉焼きの場となるという。 メニューは春夏、秋冬で変わる。春夏といえどここはエミリア、中心となるのは肉と手打ちパスタである。前菜には、クラッチャ・クルーダ、モルタデッラ、カルネ・クルーダ・バットゥータ、鶏レバーのクロスティーニとのっけから実に肉肉しい。例外として、この辺り伝統のバルサミコ12ヶ月熟成を垂らした玉ねぎフリッタータ、カンタブリアのアンチョビ&バター、カタツムリのハーブ煮などがある。プリモには、トルテッリーニ・アッラ・クレーマ・ディ・ラッテ(夕方絞った牛乳を一晩置いて浮いたクリームを使う)、タリアテッレ・アッランティコ・ラグー・ディ・コルティーレ(鶏のトサカやモツなども煮込んだラグー)の二大看板メニューの他に、若鶏の濃いブロードに浮かべたトルテッリーニだとか、いらくさのラザーニャだとか、仔牛の白ラグーの2色タリアテッレ、メッツェリガトーニのカチョ・エ・ペペなどなど。セコンドはバッサ・コルテ(家禽)とフラッタッリエ(モツ)、トラディショナル(ボローニャとその近郊の)、薪焼きの三つの項目に分かれているが、どれもこれも肉、肉、肉の全力肉推し。例外はなすのパルミジャーナと焼きイカのみ、コントルノのコの字もない潔さである。コントルノが欲しければ、前菜のトマトとナスとスクアッケローネのテリーヌあたりを持ってくるのが妥当であろう。 店主で料理人のフランコ・チミニは1966年生まれ。アブルッツォ出身で幼い頃は食べることにも苦労するという暮らしぶりだったが、乏しい材料で少しでも美味しく食べようという気持ちはこの頃に芽吹いたという。羊やヤギの屠り方を習い、肉はもちろん内臓も使い尽くすことを覚え、料理人を目指してヴェネツィアに赴いた。ホテル・ダニエリやチプリアーニに勤め、20歳の頃に家族とともにエミリアに移住。ノナントラで自ら目指す料理を始め、22歳でオステリア・デル・ミラソーレを開業した。以来30年間続けてきたのは、薪で焼く肉と臓物の料理である。途中、パートナーの実家が営む農場のパルミジャーノを始めとする乳製品、豚を使ったハムやサラミ、ソーセージがミラソーレの料理の重要な素材として加わった。南イタリアの肉焼きとエミリアの食の伝統が組み合わさった、しかし足し算は極力せずに、素材の力に100%負う。本来、イタリア料理というものはこうだったと思い出させる店であろう。ミラソーレはガンベロ・ロッソのトレ・ガンベリの評価を得ているが、同じトレ・ガンベリでミラソーレのような姿勢の店が他にどれだけあるのだろうか。昨今のトレ・ガンベリ評価の店のバラつきの激しさにはイタリアのトラットリア界のゆらぎを見る思いがする。妙に頑張った奇抜なプレゼンテーションや、伝統を飛び越えたクレアティーヴァは、トラットリア料理に不要だと思うのだが。少なくとも、ネオ・ビストロ的な店と伝統料理を受け継ぐ店とは別カテゴリーとしてガイドブックなども分類すべきだろう。外野としてはこれもまた一つの過渡期として見守るほかはないが、とりあえず、今のうちに消えゆくものを記憶しておかなければとも思う。SAPORITAをもっと見る
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