繊細なプロセッコを追求するワイナリー「レ・コンテッセ」
1976年に創業した「Le Contesse」は、初代ロリス・ボノットのクオリティワインへのたゆまぬ探究心が核となっているワイナリーである。機械をいじることが好きで、ワイン製造者になっていなければエンジニアになっていたというロリス・ボノットは、ワインに対しても根本を学び、研究を繰り返すことで理解を深め、論理的なワイン造りを行なってきた。ワイナリーの中に最新の分析器を揃え、自社のワインはもちろん、他社のワインの分析も請け負う。地元でも技術を信頼される生産者だ。 ボノットの家系は古く、1300年代のヴェネツィア共和国にその名が見られるという。元はラテン語のボヌス(正しく良きものという意味)にオット(ランゴバルド族の“所有者”を意味するオダンが起源)が加わったと考えられている。中世の頃にヴェネトの平野で葡萄栽培を始め、以来一族は常に葡萄畑を所有してきた。ロリス・ボノットは父親が買い与えてくれた土地で家業である葡萄栽培を始めたが、そこはもともとヴェネツィアのティエポロ伯爵夫人(Contesse Tiepolo di Venezia)の所有する土地だったため、農園の名を「レ・コンテッセ」とした。 コネッリアーノのG.B.Cerletti醸造学校を卒業したロリス・ボノットは、父親のワイン造りを具に見てきた。ほとんどはスティルワインだったが、シャルマー(マルティノッティ)方式のシャルドネ・フリッザンテもわずかだが造っていた。その評判が良く、スパークリングワインの可能性を確信したロリスは、当時コネッリアーノだけが造っていたプロセッコに注目。自らの農園でロリス・ボノットと妻のルイジーナはプロセッコ(当時の呼び名、現在はグレーラ種)を植えたのである。仕様はベッルッセラ式、19世紀にベッルッシ家が編み出した、土からくる病害虫を防ぐために高く棚を設え、日照をできるだけ確保するための方式で、当時のヴェネトの平野では広く取り入れられていた。ロリス・ボノットはこの伝統的な方式の長所に着目し、あえて採用したのだった。 二人だけで始めたプロセッコ造りは、一本のアウトクラーヴェから始まり、自分たちでトラックを運転してワインを売った。やがて少しずつ規模を広げ、今では8箇所200haの畑(うち70haは有機栽培)を所有し、プロセッコはDOC、DOCG合わせて8種類、そのほかにスプマンテやスティルワインを多種類生産し、38カ国に輸出している。 DOCプロセッコの中でも人気があるのはDOCトレヴィーゾ・エクストラ・ドライとオーガニックのDOCトレヴィーゾ・ブリュット・ビオロジコ。前者はりんご、洋梨、桃などのフルーティな香りと柑橘、白い花の香りを併せ持ち、味わいはフレッシュかつ柔らかい。後者はフルーティな香りと藤の花のようなやや濃密な花の香り、柔らかい中にもくっきりとした酸味があり、食前酒としても食中酒としても楽しめる。 葡萄のモスト(絞り汁)を新鮮なまま保存し、必要に応じて2次発酵を行うことでフレッシュさを維持し、水平型のアウトクラーヴェで2ヶ月半〜3ヶ月酵母と接触させることでアロマと複雑味を引き出す。「レ・コンテッセ」のプロセッコは、緻密な計算に基づいて造られた、プロセッコ本来のデリケートな味わいを堪能できるワインである。  

SAPORITAをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。