巨星墜つ、ピエール・トロワグロ亡くなる
去る2020年9月23日、ピエール・トロワグロが92才で亡くなった。写真は2007年にミラノで行われた料理コンベンション「イデンティタ・ゴローゼ Identita Golose」で撮影したトロワグロとマルケージの貴重な2ショット写真だ。1928年生まれのピエール・トロワグロは両親が経営していたホテル・レストランを50年代に兄のジャン・トロワグロと受け継ぐと徐々にその評価を高め1968年に3つ星を獲得。ポール・ボキューズとともに現代フランス料理ヌーヴェル・キュイジーヌの旗手として活躍。ジャン亡きあとは甥にあたるジャンの息子ミッシュル・トロワグロとともに3つ星を50年以上に渡り維持して来たフランス料理界のアイコンだ。ピエール・トロワグロ初めて会ったのは1995年秋にロワンヌの「トロワグロ」を訪れた時。その時は短時間の滞在にも関わらずミッシェルと二人で、実にきさくに応対してくれたことを今でも覚えている。 イタリア料理的視点で見れば、ピエール・トロワグロとはグアルティエロ・マルケージの兄的存在であり、ヌオーヴァ・クチーナ・イタリアーナの生みの親がマルケージならばトロワグロは叔父といってもいい存在だろう。若き日のマルケージは「トロワグロ」で学んでイタリアに帰国、それまで誰もやったことのない料理でスターシェフの座をかけのぼり、1985年にはイタリア史上初(そしてフランス人以外でも史上初)のミシュラン3つ星獲得したのだ。 2007年の「イデンティタ・ゴローゼ」にマルケージが登壇した時、スペシャル・ゲスト的にピエール・トロワグロも登場したことは昨日のことのように覚えている。まずマルケージが壇上に姿を見せるとわたしを含め会場にいた全員が立ち上がって拍手を送るスタンディング・オベーション。そしてミッシェルとともにピエール・トロワグロが登場するとさらに大きな拍手が会場を包み込んだのだ。その時すでに齢79才だったか。なによりもマルケージと実に仲よさそうにしていたのが心に残っている。この日ピエールが壇上で語ったのが「トロワグロ」のスペシャリティのひとつである「Saumon à l’oseille(サーモンのオゼイユソース)」。 「当時は新鮮な魚なんて滅多に手に入らなかったから身近なサーモンを使い、ロワンヌではそこら中にはえている酸味あるオゼイユ(スカンポ)をソースにした一斉を風靡した料理だ。しっかりと火を入れる従来のフランス料理とはアプローチを変え、ロゼ色に仕上げた料理でした」と懐かしそうに、しかししっかりとした口調で語るピエール・トロワグロの姿は実に堂々としており、会場につめかけた全料理人、全ジャーナリストたちの胸を打った。 余談だが、昨年マルケージの一番弟子でもあるダヴィデ・オルダーニのレストラン「ディーオー D.O.」で食事した時、柔らかい火入れで酸味のあるサーモン料理が出たことがあった。その時にピエール・トロワグロの話を思い出し「Saumon à l’oseilleのような料理だ」とオルダーニに言ったら、返事はせずただにっこり微笑んだ、ということがあった。ピエール・トロワグロはオルダーニにしてみればやはり叔父にあたる存在で、アラン・デュカスの「ルイ・キャーンズ」で学んだオルダーニ的にはフランス料理は常に彼の中にある原点のひとつだ。マルケージは2016年末に亡くなりすでにこの世にはいないが、あちらでもピエール・トロワグロと仲よさそうになにやらくすくす笑っているのではないだろうか。そう考えると訃報も多少見え方が違ってくる。合掌。

SAPORITAをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。