さらば “ドン” ディエゴ・プラネタ
少々前の話になるが、昨年2020年9月に「ドン」ディエゴ・プラネタがこの世を去った。享年80才、イタリア・ワイン界の巨星がまた一つ落ちたことになる。 ディエゴ・プラネタは1958年に創業した「カンティーナ・セッテソーリ Cantina Settesoli」の創業メンバーの一人。1972年に会長に就任すると実に40年以上に渡ってシチリアの巨大ワイナリーを指揮してきた功労者だ。「セッテソーリ」はイタリアに多いカンティーナ・コペラティーヴァ Cantina Cooperativa=協同組合のひとつで、西シチリア・メンフィ周辺の68の生産者が集まって結成。1965年に行われた最初の収穫に参加したのは300人だった。しかし、その後周辺の協同組合との合併などを経て現在は2300社が参加。メンフィにすむ5000世帯のうち70%が「セッテソーリ」関連の仕事をしており、総作付け面積6500haというヨーロッパ最大の協同組合ワイナリーにまで成長したのだ。1999年にはシチリアを代表するデイリーワイン「マンドラロッサ Mandrarossa」をリリース。これはイタリアのスーパーでもよく見かけるワインなので一度は口にしたことがある人も多いことかと。また2009年にはGambero Rossoのカジュアルワイン・ガイドブックAlmanacco di Bere Beneにおいて最優秀ワイリナーに選ばれたこともある。トレーサビリティやサステイナビリティにいち早く取り組んだのもディエゴ・プラネタで、地元セリヌンテの神殿の修復にも意欲的に取り組んできた。 1985年には娘であるフランチェスカ・プラネタ Francesca Planetaと2人の甥アレッシオ・プラネタ Alessio Planeta、サンティ・プラネタ Santi Planetaが「プラネタ」を創業。以後シチリア・ワイン界におけるシンデラ・ストーリーの主役となれたのもやはりディエゴ・プラネタの功績が大きかった。1998年にはタスカ・ダルメリータ Tasca d’Almeritaやカンティーナ・ラッロ Cantina Ralloとともにシチリアワイン協会 Assovini Siciliaを設立。現在はアレッシオ・プラネタが会長に就任している。 「セッテソーリ」にディエゴ・プラネタを訪ねたのは2005年7月のことだ。焼きつくような夏のメンフィの日差しの下、ディゴ・プラネタは愛用の白いパナマ帽姿で登場。スタッフはみな彼を畏敬の念を込めて「ドン」と呼んでおり、表情はいつも険しいのだけれど、長時間の取材にも実に誠実かつ丁寧に対応してくれたのだった。取材の後、直々に予約してくれたレストランでマンドラロッサ飲みつつランチをしていると、ディエゴ・プラネタが再びパナマ帽姿で登場。「ワインとシチリア料理を楽しんでいるかい?」とわれわれの様子を見にきてくれたのだった。その心遣いもまた地元の人が「ドン」と呼ぶディエゴ・プラネタの人柄を偲ばせるものだった。その頃イタリアでも禁煙法が施行されてから数年が経っていたのだが彼だけは例外。レストランの中でゆったりと葉巻をくゆらせていたこともまた、忘れられないエピソードだ。その印象は強烈に残っており、以来15年も経つというのにエノテカで「マンドラロッサ」を見かけると白いパナマ帽で葉巻を手にした「ドン」の姿を今も思い出す。「マンドラロッサ」を開けつつ「ドン」ディエゴ・プラネタに心から冥福を祈りたい。R.I.P.

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