トスカーナのテロワールを表現する蒸溜所、ワインスティラリー
ワインを語るとき、必ずでてくる言葉がテロワールとミクロクリマ。土地特性とその土地に見られる気候特性のことだ。ワインの造り手は、葡萄を栽培する土地の土壌と気候がもたらす恩恵を、いかにワインの中に表現するかに心血を注ぐ。ワイン造りにおけるもっとも基本的で重要なフィロソフィーといってもいい。このテロワールとミクロクリマを蒸留酒でも表現しようという造り手がいる。トスカーナのキャンティ・クラシコ地区に誕生した「ワインスティラリーWinestillery」だ。

ジュニパーベリーには、この香りだけでなく、殺菌、消化促進などの効能があるとされ、9世紀のサレルノ医学研究所でジュニパーベリーを使って蒸留した薬を作っていた記録が残っており、イタリアではこれがジンの始まりとも言われている。しかし、一般には、17世紀にオランダ人によって薬として作られていたものがイギリスで発展し、現在の大手ジンメーカーの多くがイギリス生まれというのがジンの辿ってきた歴史となっている。ところがその大手メーカーの多くがトスカーナのジュニパーベリーを使っていることはあまり知られていない。
一般にジンはベーススピリッツを購入し、各地からボタニカルを集めて仕込む。だから、トスカーナのワインスティラリーが、自らの土地=テロワールとミクロクリマを表現するにあたり、自社ワインを蒸留し、そしてトスカーナのジュニパーベリーをはじめとするさまざまな地元産ボタニカルをジンで表現するという発想は非常にユニークだ。ただ、それを実際に高いクオリティで実現することは簡単なことではない。いかに上質なベーススピリッツを蒸留するか、そしてどのボタニカルをどのような配合で抽出するか、実に細やかな神経を要する作業の連続であり、しかもその結果が傑出したものでなければ意味がないのだ。
ワインスティラリーのポットスチルは、トスカーナのモンテリッジョーニで100年以上の歴史を誇るフリッリ社によるカスタムメイドで、ベネット型(浸漬法)
とカーターヘッド型(蒸気抽出法)を組み合わせ、さらにコラムスチルも組み込んだ超ハイブリッドスチル。ボタニカルの特性によってベーススピリッツに漬け込む(浸漬)か蒸気による抽出にするかを決め同時に香味を抽出、さらにアルコール度数の微妙な調整も可能な仕組みである。
フラッグシップである「ロンドン・ドライ・ジン」は、ジュニパーベリー、コリアンダーシード、アンジェリカ・ルート、イリス・ルート、オレンジピール、シナモンなど13種類のボタニカルを使用したアルコール度数42%。一般的にジンに使うベーススピリッツは穀物やトウモロコシなどを原料としたニュートラルスピリッツだが、マスター・ディスティラーであるエンリコによると、ニュートラルといってもやはり出自の性格は消えない。ワインスティラリーのベーススピリッツにはワイン由来の香りが微かに感じられるのだという。そしてジュニパーベリー、コリアンダー、深い森を思わせる香り、柑橘の皮の香りなどが複雑に混ざり合い、「トスカーナの丘を散歩している」記憶を呼び覚ますのだと。
「オールド・トム・ジン」は、18世紀から19世紀イギリスで質の悪いジンの欠点をカバーするために砂糖で甘くしたのが始まり。クラシックなロングカクテルのトム・コリンズにはこのジンを使う。ワインスティラリーでは砂糖を使わず、甘みを持つボタニカルで昔懐かしい味わいを実現した。はちみつのような香りとナツメグの香りが印象的で、ジュニパーベリー、コリアンダー、オレンジの皮、そして心地よい木の香りが追いかけてくる。「キオッチョリ・アルタドンナ」ではワインのマロラティック発酵と熟成にフレンチオークのバリックを使っているが、この樽に40日ほど寝かせることで香りが変化し、淡紅色を帯びた柔らかな琥珀色になるのだという。
ベルモットといえばトリノ生まれだが、その名前がつけられたというだけであって、ワインベースのリキュールはその当時のトスカーナでも造られていた。1773年に医師が記したトスカーナのワイン醸造に関する文書や、1736年発行のタウリネンシスTaurinensis調剤術にも、胃腸薬の効能があるとしてニガヨモギを浸漬したワインが紹介されている。「タスカン・ベルモット」は、そんなトスカーナの“ベルモット”の歴史を語るべく誕生したという。サンジョヴェーゼのワインをベースにクラシックなトスカーナのベルモットのスタイルを踏襲し、カラメルなどを一切使わずにワイン特有の紫を帯びた濃いルビー色を引き出している。スミレを思わせるフローラルな香りと赤いベリーの香り、そこにローズマリーとニガヨモギのスパイシーな香りが結びつき、華やぎの中に妖艶を醸し出す。そして果実の豊かな甘味と、その後にニガヨモギ特有のかすかな苦味の余韻が続く。ソーダで割ってもいいが、そのままメディテーションリキュールとして楽しんでもいい。
ウォッカはロシアあるいはポーランド発祥の蒸留酒だが、その誕生は14世紀にジェノヴァの商人が持ち込んだ “アックア・ヴィタエ”を皇帝が気に入ったことによるという説がある。寒冷地のロシアやポーランドではワインが造れないため、安価なイモやライ麦を材料にして生まれたのがウォッカ、イタリア語で“アックエッタ”、つまり、アックア・ヴィタエを意味するというのだ。真偽のほどはさておき、「タスカン・ヴォトカ」は、レモンの皮を思わせるフレッシュな香り、白胡椒の軽やかなスパイシーな香り、そしてシルクのような滑らかさに続いて、ワインの故郷である土に含まれるミネラルの余韻が残る。いわゆるウォッカのイメージを覆すエレガントな味わいである。
以上4つのスタンダードラインの他に、2つの限定エディションもある。コンセプトは「シネステティカ」、シナスタジア(共感覚)とエシックス(倫理・道徳)を合わせた造語で、ワインとスピリッツの境界、伝統と革新の境界を超えて、新しい目線でテロワールの表現を追求する姿勢を意味するという。これまでは離れていた二つの世界が出会うことで生まれる新しい世界を、多くの人と共感したいという思いから生まれたコンセプトである。
「コッパー・ストレングス」は加水をせずにミドルカットで得られた留液そのもの、アルコール度数70%のロンドン・ドライ・ジン。コッパー(銅の蒸留機)から生まれたままの(ネイビー)ストレングスというわけである。味わいはもちろん力強いが、同時に香りは複雑で奥深い。森、柑橘、ジュニパーベリーといった清々しい香りと、イタリア語でいうところのバルサミコ、かぐわしさが果てしなく広がる。なめらかで一切の雑味を感じさせず、ハーブ、ジンジャー、そしてかすかなアッサム茶葉の余韻。これをジントニックにするとものすごく幸せな気分になるというのもうなづける。
一方、「スロー」は、留液にサンジョヴェーゼの絞り滓を浸漬したジン・リキュール。スペルのSlowは、イギリスのSloe Ginにかけたネーミングで、Sloeがプラム果汁で作るところを、トスカーナを代表するワイン葡萄を使っている。赤いベリー、スミレ、マラスキーノチェリー、フラゴリーノ(野いちご)といったフレッシュフルーティな香りが際立ち、そこにジュニパーベリーそのほかのスパイスが奥行きを与える。味わいは溢れんばかりの豊かな果実味、それを葡萄の果皮由来のタンニンが全体を引き締め、後味にもキレがある。アルコール度数は27.5%、そのまま食後酒として、あるいはソーダ割りやカクテルで食前にも楽しめる、応用力の高いリキュールだ。
最後に、リリース直前というビターを試飲した。爽やかでスパイシー、きりっとした、えぐみのない綺麗な苦味。「コッパー・ストレングス」と「タスカン・ベルモット」、そしてこのビターで作るネグローニは、今までにない味わいだという。“シネステティカ”が生み出す可能性がどこへどこまで広がるのか楽しみである。
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