3月8日、女性の日とトルタ・ミモザの伝説
イタリアでは3月8日は「Festa della Donna フェスタ・デッラ・ドンナ=女性の日」として女性にミモザを贈る習慣がある。確かに3月になると街のあちこちでミモザを飾る光景が見られ、商店などでは女性客に無償でミモザをプレゼントしてくれるのだ。長い冬もようやく終わり、復活祭にむけて気分も華やぐ、そんな日であることは間違い無いのだが3月8日=女性の日、という起源は実はイタリアにあるというわけではない。 記録上で最も古いのは、1904年3月8日ニューヨークの女性労働者たちが婦人参政権を求めて起こしたデモ。それをうけて1910年にはコペンハーゲンで行われた国際社会主義者会議で3月8日を「女性の政治的自由と平等のためにたたかう記念の日」とする提案が提出される。1917年3月8日の帝政ロシアでは女性労働者たちを中心にデモがはじまり、やがて男女の枠を超えた大規模蜂起となって帝国崩壊につながったとされている。 一方イタリアでは1945年3月8日、一部の解放都市で「女性の日」がはじまり、翌1946年3月8日には戦争の完全終結と占領下からの解放を祝いイタリア全土で「女性の日」が行われた。この時、ミモザを「女性の日」のシンボルとすることを提唱したのはTeresa Noce テレーザ・ノーチェら3人の女性政治家だった。1972年といえばベトナム戦争の影響もあり世界規模で反戦運動や学生運動、抗議デモなどが行われていた時代だが3月8日ローマのカンポ・ディ・フィオーリ Campo di Fiori=花の広場では中絶と同性愛を合法化するよう12人の女性たちによるデモが行われ、中には米女優ジェーン・フォンダの姿もあったが、警察はデモ参加者を解散させて起訴した。この事件を発端にイタリア各都市の広場や通りには「3月8日=8 marzo」という名前がつけられるようになったという。 現代のイタリアではそうした悲しい過去よりも3月8日をミモザで祝う祝祭的な側面が強調されており、その象徴となるのが「トルタ・ディ・ミモザ Torta di Mimosa」だ。これはスポンジケーキにレモンクリームやカスタードクリーム、あるいはシャンティリー・クリームなどをはさみ、デコレーションした華やかなケーキでこれも3月が近づくとイタリアではあちこちの菓子屋の店先を飾るようになる。 ファイン・ダイニングの世界、例えば「オステリア・フランチェスカーナ Osteria Francescana」ではトルタ・ディ・ミモザを題材とし、女性へのリスペクトを表現した「Yellow is bello イエロー・イズ・ベッロ=黄色は美しい」というシグネチャー・ドルチェがあるが、これはマッシモ・ボットゥーラの右腕である紺藤敬彦が現在の伴侶カリメ・ロペス Karime Ropezに贈ったデザートだ。また、今年「ブルガリ イル・リストランテ ルカ・ファンティン」から発表されたのは有機レモンを使った滑らかな限定「トルタ・ディ・ミモザ」で有田焼の専用陶器入り25,000円。ご興味ある方はこちらからどうぞ。  
 

SAPORITAをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。