パスティッチェリア界の泰斗イジニオ・マッサーリの新店、フィレンツェにオープン
食の総合メディア、ガンベロ・ロッソは毎年さまざまなグルメガイドを刊行している。その一つ、パスティッチェリア・ガイド「Pasticceri&Pasticcerie」では100点満点で90点以上と評価されたパスティッチェリアにトレ・トルテ(ケーキ三つ)の称号が送られる。2022年版では27軒がトレ・トルテに認定されたが、もう一つ別に、トレ・トルテ・ドーロ(金のケーキ三つ)というスペシャルな称号を送られた店がある。トレ・トルテの常連だった「Pasticceria Veneto」、ブレーシャで創業50年を数える菓子店で、創業者イジニオ・マッサーリは現代イタリアパスティッチェリアを代表する巨匠である。それがこのほど“殿堂入り”を果たしたというわけだ。 ブレーシャで、社員食堂のマネージャーを務める父と料理人の母の間に生まれたイジニオ・マッサーリが料理人の道ではなくお菓子の道に進んだのは、最初に働いたブレーシャのパン屋で、製菓の面白さに目覚めたことがきっかけだった。さらなる技術と知識を身につけるためスイスのフランス語圏へ赴き、4年間を過ごす。当時はまだイタリアの菓子は郷土菓子は別としても、素朴で日常的なものかオーストリア菓子のようなクラシックな世界に留まっていた。実は今もそれは変わらず、大部分のパスティッチェリアは昔ながらのトルタやミニョン(ひと口サイズの生菓子)を作っている。だが、イジニオ・マッサーリはフランス・スイスの、いわゆるオート・パティスリー、イタリア語で言うところのアルタ・パスティッチェリアの先鞭をつけ、後進に道筋を示した初めての人物である。 スイスから戻り、製菓会社や食品会社のコンサルタントを務めた後、1971年にパスティッチェリア・ヴェネトを創業。85年にブレーシャにおいて国内初の菓子職人選手権を発案、93年にAccademia Maestri Pasticceri Italiani(イタリア菓子職人協会)を発足、自ら会長に就任した。これは現在もイタリアのパスティッチェリア界で最も権威ある協会である。その後もリヨンで開催される世界菓子職人選手権(クープ・デュ・モンド)のイタリアチームのアドバイザーとして優勝に導いたり、その他さまざまな賞や表彰を300以上受け、2013年にはイタリア共和国の勲位コンメンダトーレ褒章、2015年にクープ・デュ・モンドの名誉会長にもなっている。ちなみに90年代にプロ向けの講習会を行うために来日したこともある。 イタリアのパスティッチェリアの業界全体の牽引役を担ってきたイジニオ・マッサーリだが、現在は“マッサーリ”ブランドそのものの拡充時代に入っている。その立役者が娘のデボラ・マッサーリだ。食科学を専攻したデボラはオンラインショップを導入し、動画やニュースをSNSで発信するなど“マッサーリ”のアップデートに献身している。とりわけ目立つのがリアルショップの展開だ。パスティッチェリア・ヴェネトを本拠としつつ、新たに「ガレリア・イジニオ・マッサーリ」を2018年ミラノにオープンし、さらに2019年トリノ、2020年ヴェローナ、そして2021年にフィレンツェと拠点を増やしている。その他、クリスマス時期には百貨店リナシェンテやローマ・テルミニ駅などにポップアップショップを開き、イジニオ・マッサーリの代名詞とも言えるパネットーネを中心にオリジナル商品を販売。こうしてパスティッチェリア界の中だけでなく一般にもその名前が急速に浸透しているのだ。 フィレンツェにオープンしたショップは、五つ星ホテルのヘルヴェティア&ブリストルのカフェ・パスティッチェリアという位置付けだが、ホテル内からは直接アクセスはできず、独立した路面店として成立している。レプブリカ広場のすぐ近くという好立地も手伝い、12月16日にオープンして以来、年末年始のホリデー期間は連日入店待ちの長蛇の列ができた。大聖堂やウフィツィ美術館に入るための行列は珍しくなくても、一つのお店にこれだけの人が押し寄せるのは滅多にあることではない。そして、物見高いフィレンツェ人は一度試せば満足するのだが、朝のブリオッシュを目当てに通う層が定着し始めているようだ。 店内はカウンターとケーキのショーケースがひと続きに並ぶバール・パスティッチェリア、その奥にカフェという二部構成。どちらの場所でもガラス越しに厨房の様子が見える。カフェの内装はマッサーリのお菓子のパッケージのモチーフともなっているお菓子のデザイン画をベースにしており、色合いもパステルグリーンやピンクのグラデーションで非日常感を演出。窓はないが、天井高くゆったりと落ち着いた雰囲気だ。 メニューはブリオッシュ、ミニョンやマカロンなどの小菓子、ケーキ、ビスコッティ、チョコレート、マロン・グラッセなど。飲み物はカフェ類の他に、ワイン、クラシックなカクテルもひと通りある。セイボリーは一切ないので、アペリティーヴォもドルチェなつまみで楽しむことになる。しかし、ほとんどの人は朝ならカフェとブリオッシュを、そのほかの時間もカフェとケーキ、あるいは、マリトッツォを食べている。パンとケーキの間のようなマリトッツォはモノポーションのケーキとは別の扱いで、おやつのような存在で値段もケーキより手頃。とはいえ6ユーロと立派な値付けである。ちなみにケーキは10ユーロだ。ミラノの店のオープン当時はマリトッツォはもっと小ぶりで値段も3ユーロだったが、最近は大型化し値段もアップ。しかし、甘さ控えめのホイップクリームとほんのり塩の効いたブリオッシュ生地、薄く塗ったクレーマ・パスティッチェーラ(カスタードグリーム)のバニラの香り、全て無駄なく必要十分で隙がない。ローマのおやつ菓子が素朴さを残しつつもアルタ・パスティッチェリア的に昇華しているのだ。これまでフィレンツェにはガンベロ・ロッソの件のガイドブックでトレ・トルテの評価を得たパスティッチェリアはなかったが、一気にトレ・トルテ・ドーロのお菓子が食べられるようになった。これがきっかけでフィレンツェのパスティッチェリア・シーンに新しい風が吹くかどうか。注目していきたい。        

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