能田耕太郎シェフが切り拓いたヴィーガン・ガストロノミーとは
FARO」の能田耕太郎シェフが「専門料理」で連載していたヴィーガン料理をまとめた一冊「ヴィーガン・ガストロノミー」。能田シェフが長年取り組んできたヴィーガン料理は、思想的なヴィーガンを理解しつつも、そこにとどまらず、食を楽しみながら生き方について考えを深めよう、という点に立脚している。食を楽しむ、ということがまず第一に来るところが肝だ。 ヴィーガンは、ベジタリアンから分派した、植物由来の食品しか摂取しない食の思想・主義を実践する人である。そこからさらに、暮らしの全てから動物性のものを排除するという考え方に行き着く人もいるが、そこまでではなくても、現代生活の中でヴィーガンを徹頭徹尾実践するのはハードルが高い。ヴィーガン先進国のアメリカには対応した食品、飲食店も多いが、日本も含め、そのほかの国ではまだまだ発展途上といったところだ。 そんな中、能田シェフがヴィーガンに着目したのは、ローマで自身が経営する「ビストロ64」でシェフを務めていた当時、しばしばヴィーガン対応を求められたことがきっかけだった。ガストロノミーを楽しみにやって来るお客は、美味しさ、驚きを求めこそすれ、思想的に食べられないものがあると申告することはこれまであまりなかった。しかし、あえて食べないものがありながら、ガストロノミーを楽しみたいというのである。そこから能田シェフの研究が始まった。 ヴィーガン向けの食品はオーガニックの店などに売られている。ヴィーガン対応を謳う飲食店もある。しかし、試してみると美味しいと思えるものがあまりない。美味しくなければ意味がないと考える能田シェフにとって、ヴィーガンだから美味しくないものでも満足しなければならない道理はないと考えるようになった。 そしてもう一つ、能田シェフをヴィーガン・ガストロノミーの追求に導いたのが、それまでファインダイニングの世界で主流だったガストロノミーへの疑問だ。つまり、より斬新で洗練された料理を作り出すために、食材の優れていると思われる部分だけを使うということは、捨てる部分も増えるわけで、言うなればそんなゴミの山の上に築かれた料理が果たして良いものなのだろうか、と。こうして、食材の廃棄を極力減らしながら、美味しいヴィーガン料理への挑戦が始まったのである。 世界的な発酵ブームから、欧米でも自家製の発酵食品を素材や調味料として使うレストランは増えている。ただ、その中には、とりあえず発酵に手を出しているだけという店も紛れている。時にはひどい発酵食品を食べさせられる時もある。今は過渡期とすれば自然淘汰され、良店が生き残り、増えていく可能性はあるが、それには時間がかかるだろう。その理由の一つは、本当の意味で“ミソ”や“ショウユ”といった発酵食品の持つ性質、味わいを理解するには、その食品を伝統的に使ってきた歴史がない国や文化に生まれ育った人にとって相当に難しいことだからだ。日本人が、イタリア料理を作る時にも同様の壁がある。イタリア人のDNAに刻み込まれた味の記憶を持たない日本人にとって、イタリア人と同じレベルでイタリア料理をすんなり作るのは至難の技だ。 日本人でありながらイタリア料理を作る能田シェフはそのことについても常々考えてきた。イタリアに来てからの20年は、日本人として、異文化の料理を作るアイデンティティを探し求める旅だったと言ってもいいだろう。その旅の中で出会ったヴィーガン料理は、能田シェフに新しい可能性をもたらした。植物ベースの食事は、味わいが淡白で単調になりやすい。バリエーションを与え、飽きることなく楽しく食べられるヴィーガン料理を生み出すには、油脂と旨味をいかに効果的に操るかがポイントとなる。 日本古来の精進料理には、味噌や醤油という旨味の素を使いこなすノウハウが詰まっている。大豆だけでなく、あらゆる食材から味噌、醤油を仕込むこともできる。調理過程で出た野菜の端材や、生産者から送られてきても量が少なすぎてメニューに組み込めない食材も、調味料とすれば有効に使うことができる。こうして「ファロ」の厨房には、多種多様な味噌、醤油、発酵食品がストックされるようになった。旬の新鮮な素材として食卓に出すことはできなくても、素材の底力を引き出した保存食や調味料として利用することは、能田シェフのヴィーガン・ガストロノミーの強力な柱の一つである。 サステナビリティという言葉が叫ばれるよになって久しいが、料理の世界ではその一手として、調理の過程で出る端材を乾燥させて粉末にしたり、ソースにしたり、という方法がある。しかし、廃棄率ゼロにするにはそれだけではどうしても足りない。それゆえ、能田シェフのヴィーガン・ガストロノミーはより踏み込んだアプローチとしての示唆に富んでいる。さらに能田シェフが重視するのは、循環だ。持続可能とはつまり、循環させることである。森が海を育て、海が森に帰るという自然の循環は、地球が生きながらえる源泉であり、人間はその源泉を守ならければならない。だからこそ、作物の栽培、ヴィーガンでは使わないが、肉や魚の飼育においても、循環を念頭に置いた生産者とのネットワークを広げている。 能田シェフは、イタリア料理を起点として、その枠に収まりきらない料理理念を実現させた。しかし、根底にはやはりイタリア料理があり、能田シェフのヴィーガン・ガストロノミーを支えている。それは、例えば、イタリア料理のコース構成。アンティパストとセコンドピアットの間にプリモピアットとしてのパスタの存在は大きいと言う。炭水化物が間に入ることでメリハリが生まれ、セコンドピアットの大団円に向かって盛り上がることができるのだ。 また、ドルチェ、デセールの役目も、これはイタリア料理に限らないが、かなり重要である。最高の食事になるか、台無しにしてしまうかはこの締めくくりにかかっている。パスティッチエレを務める加藤峰子氏は能田シェフからヴィーガンのドルチェを構築するようにオーダーされて、それまでに自分の中で組み立ててきたものを一旦白紙にせざるを得なかったと言う。クリームなどの乳製品、卵を使わずに、コクやテクスチャー、満足感をどう生み出すか。厨房での実験はもとより、素材の探索にも走った。大学で情報工学を専攻した能力をフルに活用し、欲しい情報を的確に入手して、自らの足で生産現場に行って確かめて得た素材を駆使する。果たして生まれるのは、加藤氏の研ぎ澄まされた感覚なくしてはなし得ない、独自のドルチェだ。能田シェフの唯一無二のヴィーガン・ガストロノミーはこうして完成する。 しかし、ここで終わるわけではない。能田シェフは常に進化を続ける。著書「ヴィーガン・ガストロノミー」は連載をまとめたものだが、中には月日とともにさらに進化し、“美味しさ”を増したものも少なくないと言う。同著の帯表4に、「『制限』が表現の可能性を広げてくれた」とあるように、できないこと、できないものがあるからこそ、挑戦のしがいがあり、進化への道が示されるのだろう。これからも変わり続ける能田シェフのガストロノミーを追っていきたい。            

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