カゼンティーノの森で母なる大地の恵を味わう。リストランテ・マーテル
カポット・カゼンティーノ(カゼンティーノのコート)とは、独特の毛羽だった厚地のコートのこと。トスカーナ北東部の同名地方で作られる毛織生地のカゼンティーノの起源は14世紀に遡り、そのコートは厳しい冬に御者が着るものとして20世紀前半まで広く利用されてきた。生地そのものが重いため、今では着る人も減ったが、独特の風合いと鮮やかな発色ゆえ根強い人気がある。そしてカゼンティーノ地方は、豊かな森に覆われた土地で、ユネスコの世界自然遺産「カルパティア山脈などの欧州各地のブナ原生林群」の一部でもある。それはつまり、人が頻繁に通うような場所ではないということでもある。そんな土地にリストランテ「マーテル」はある。 フィレンツェから車で1時間半あまり、電車はなく、バスで行こうと思えば行けないこともないが、乗り継いで4時間はかかる。基本的に夜しか営業していないので、バスで行ったらその日は現地で泊まらざるを得ない。日曜は昼も営業しているが、平日とは違って接続できるバスがない。文字通り陸の孤島である。そんな不便な場所であっても、訪れる人は少なくない。なぜなら、そこでしか味わえないものがあるからだ。 シェフを務めるフィリッポ・バローニは、他の2人の兄弟と共にこの地で山間リゾートを2004年に開業、そして2017年に「マーテル」をオープンした。マーテルとはマザー、母なるもの、大地、慈しむ者を意味する。農学的には木の幹や根といった“そこから新たな命が生まれる場所”を示すらしい。「マーテル」は、カゼンティーノの森がもたらす恵、そして自家菜園の実りを糧として料理することを身上とする。言い古された表現だが、どの皿も素材の持つ香りと味が全てを決めている。シンプルで力強く、食べた後に余韻こそあるが、重さを残さない。滋養を得た、という感覚はこういうことだとしみじみ実感する料理だ。 メニューはアラカルトもあるが、こういう店ではシェフの想いを体感するべくコースを選ぶのが王道である。そして、飲み物もペアリングにして場面ごとに変わる方が楽しい。ところでペアリングは、お客にとっては少しずつ色々楽しめるのが利点だが、店にとっては売れ残りが出てしまうのが悩みの種。そこで「マーテル」では、残ったワインでオリジナルのヴェルモットを仕込んでいる。カゼンティーノの森にはヴェルモットに欠かせないニガヨモギが自生しており、そのほかにもさまざまなハーブが豊富にある。それらを使って、マルサラやヘレスと同じようなソレーラス方式でヴェルモットにしているのだ。白ワインでヴェルモット・ビアンコを、赤ワインでヴェルモット・ロッソを造る。ビアンコは爽やかなハーブの香りを生かすためあまり熟成させず、ロッソはゆっくり醸して深みを引き出すという。仕込む時期によってニガヨモギそのものの風味が変わる上に、そのほかのハーブも異なるため、味わいもさまざまとなる。いずれにしても大手メーカーのヴェルモットとは違う、繊細で自然な香りとさらりとした飲み口で、氷と合わせるだけ、あるいはライトなトニックウォーターで割ってアペリティーヴォとして提供している。 身近な自然の恵を余すことなく使い、享受する。本来、食とはそういうものであることを思い出させてくれる、それが、「マーテル」を訪れた者に与えられる最大の褒美である。そしてもし、望むなら途中でカポット・カゼンティーノを手に入れることもできる。「マーテル」のサービス担当マルタ夫人曰く、フィレンツェから同地へ向かう手前、スティアという街がカポット・カゼンティーノの生まれ故郷である。 Ristorante Mater Via di Camaldoli, 52 Maggiona (AR) https://www.ristorantemater.it          

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