考えうる理想をすべて注ぎ込んで“ロカンダ”の新しい形を実現したGustificio
ヴェネト州を北から南へと流れるブレンタ川。ヴェネト平野を潤すこの川沿いにあるカルミニャーノ・デル・プレンタは、のんびりとした空気に包まれた鄙びた街である。豊かな水のおかげで古くから製紙業が盛んだが、工場があるとは微塵も感じられない牧歌的な雰囲気で、見どころといえばブレンタ川とその周りの自然公園、有名な歴史的建造物があるわけではない。しかし、ここには近隣のヴィチェンツァやヴェローナ、さらに外国からも足を運ぶ人が絶えない場所がある。2022年、街のほぼ中心に誕生した「Gustificioグスティフィーチョ」だ。バール・パスティッチェリアであり、レストランであり、そして宿泊施設も併設するロカンダである。

オープンして3年の間に、その斬新で明快なスタイルは瞬く間に評判となり、数々のメディアで紹介され、うまいものに目のない人々にとってはmust to goとして認識されている。毎年2月にフィレンツェで開催される小規模食品メーカーの展示会TASTEで、注目すべき発酵菓子メーカーとしてピックアップされているのが目に留まりブースを訪れたところ、オーナーで料理人のアンドレア・ポーリが満面の笑みを湛えて、「とにかく食べて」とパネットーネを差し出してきた。その笑顔のパワーは、笑顔の得意なイタリア人の中でも最高ランクといえるレベルで、パネットーネもさることながら、このパワーの源はなんなのだろう?と人物そのものに興味が湧いた。「どうしてこのパネットーネが生まれたのかと思うなら、一度訪ねてきて。そうしたらすべてに納得がいくと思うよ」という言葉に抗えなかった。
そうして訪れたグスティフィーチョは、先に言ったように、変哲のない小さな街の中にある。イタリアにはよく、なんでこんな人里離れた田舎に、と思うようなところにすごい店があったりするが、グスティフィーチョがあるのはそこまで辺鄙なところでもない。ではなぜここを選んだのかというと、アンドレアの生まれ故郷(正確にはその隣町)だからだ。地元から離れると途端に萎れてしまうイタリア人は少なくないが、アンドレアはそういうタイプというわけではなく、生まれ育った土地への愛着と、家族の思い出が詰まっているからで、その思い出こそが料理の道へと進む原動力となったからである。
「もともとおじさんがロカンダをやっていたんだ。母はそこで給仕係として働いていて、僕もいつも彼らと一緒に過ごしていた。大きくなったら自分もこういう、食事ができて泊まることができる場所をやりたいといつも思っていたんだ」。
カステルフランコのホテル学校を卒業し、レストランで働いてお金を貯めて、オーストラリアのアデレードに行って、肉のグリルの技術を習得した。パドヴァ大学で食品衛生について学んで卒業後、初めて自分の店を開けた。最初から順風満帆だったわけではない。試行錯誤を重ねて、どうすれば自分の理想を形にできるかを日々考えた。
「TVでマスターシェフが始まって以来、料理人の世界が変わった。料理ができなくても料理人になれると考えるような人たちが出てきた。まるでキリストが生まれる前と後のように時代が変わったんだ。今、若い人たちはホテル学校なんて行かない。TVで見て、簡単にできそうだと思ってこの世界に入る。そして二日後にはやめてしまう。そううまく行くわけはないからね。自分が幸運だったのは、おじさんたちのそばで、この仕事がどういうものかを身をもって知ることができたことだよ」。

パンデミックの最中、ある朝目覚めると、やりたいことの形がはっきりと見えた。そしてすぐさま新しい冒険を始めたのである。前の店は売り、古いロカンダ跡を手に入れた。製紙工場に働きにくる人々が集う歴史あるロカンダだったが、アンドレアが引き継ぐ前はすっかり活気を失ったバールになっていた。それを全面的に改装し、明るく、スタイリッシュで、しかし温かみのある空間に生まれ変わらせた。入り口すぐはバール・パスティッチェリアで、朝は出来立てのブリオッシュや焼き菓子が並び、地元の人々が次々とやってきて互いに挨拶を交わす。これがミラノだと立ち飲みで足早に去っていくところだが、ここはカルミニャーノ・デル・ブレンタ、テーブル席に陣取って新聞を読みながら朝食を楽しむ人がほとんどだ。バールカウンターとテーブル席の間をまっすぐ進むと右手にピッツァとパンを焼く窯。そのさらに先がレストランである。テラスには楓などの大きな鉢が据え置かれていて、大きく取った窓から滴るような緑が見える。外からは想像できなかったが席数は90とかなり広い。それが毎晩2回転するという盛況ぶりである。
「2回転すると言っても、予約は1回転分だけ。あとは席が空いたら案内するという方法にしている。お客さんを追い立てたくはないし、それに、待っても構わないよというお客さんが多いんだ。そもそもグスティフィーチョは、単に食事をするだけでなく、人々が交流する場所でありたいと思っている。もちろん、そこで食べるものは美味しくて当たり前。同時に、もてなすことの大切さも忘れてはいけない。お客さんと働く僕たち、双方が楽しめるような場所にしたいんだ」。レストランのメニューもピッツァもあれば、肉のグリルもある。選択肢の幅を広げて、お客様の気分とお腹の空き具合に合わせて選べるよう自由度を高めている。素材のほとんどは地元の生産者から直接仕入れたもので、牛肉に関しては特に地元原産品種の保護育成に取り組んでいる生産者と密接な関係を結び、正肉以外の部分も余すことなく使っている。ビステッカやタリアータしか食べたことのない人にとっては、新しいグリル肉の魅力に出会える貴重な機会だ。
遠方からやってきた人にとって宿泊施設があるというのはやはりありがたい。ロカンダを目指したアンドレアにとって宿泊施設は悲願だったが、それが叶ったのはオープンから1年後。今は部屋数も増えて11室、シンプルで機能的な客室はレストランの真上にある。部屋に上がるとレストランの賑わいが微かに感じられるがうるさいと思うほどではない。それも23時まで、レストランがクローズすれば急に静かな田舎の夜となる。そして朝6時45分、バールが開店する頃になるとブリオッシュが焼ける良い匂いが階下から漂ってくる。朝から晩まで営業するのは大変ではないかと聞くと、
「働くことは大切だけれど、楽しく生きることも同じように大切。スタッフが気持ちよく無理なく働いて、暮らしに満足できることが一番。だから、休みを取ることは絶対条件で、日曜は営業も午前中のバールのみ。宿泊客も土曜日のチェックインは受けるけれど、日曜日はなし。僕も幼い双子の面倒を見なければならないからしっかり休むよ」。
そんな毎日でも、特別に忙しい時がある。パネットーネやコロンバの時期だ。グスティフィーチョの名前をイタリア中に広めたのは、ガンベロ・ロッソでベスト・パネットーネの一つに選ばれたことが大きい。

「オープン当初、製菓の工房はもっと小さかった。でも、パネットーネはレストランに来られない人にも届けることができる。グスティフィーチョの味を広く知ってもらうためにパネットーネの製造には力を入れているんだ。まず、リエヴィト・マードレ(自家培養発酵種)をどう扱うかが大切で、うまく使いこなせなければ、何も始まらない。最上の食材、完璧なレシピ、そしてきちんと働くリエヴィト・マードレ、この三つがあって初めて、美味しいパネットーネに近づける。あとはリエヴィト・マードレをはじめ多くの知識を自分のものとし、忍耐強く取り組んでいかねばならない」。
人気のパネットーネはしかし、1日に250個までしか作れないし、作らないという。評判は海外にも及び、大規模なリテールからも販売の声がかかるようになったが、それには応じていない。数が限られている上に、賞味期限を2ヶ月と設定している。乳化剤も安定剤も使っていないので時間と共に劣化する可能性があり、春が近づいて気温が上がるとカビが発生する恐れもある。販売先でどのような環境に晒されるかわからない以上、お客様のところへ直接届ける方法しか取りたくないのだ。

パネットーネに関してアンドレアがもう一つ懸念しているのは、パネットーネをクリスマスギフトセットに混ぜること。スーパーなどで売られる安い食品と一緒に詰め合わせたセットしか知らないと、パネットーネは美味しくもないものだと思ってしまう。あるいは乾燥してかたまりと化したパネットーネにはクリームか何かを合わせないととても食べられない。そういうものに慣れてしまっているイタリア人が少なくないのだ。しかし、一度アルティジャナーレのきちんと作られたパネットーネを食べたらわかってもらえるという。
「柚子やグレープフルーツ、ベルモットなどフレッシュな柑橘の皮をすりおろして加えたパネットーネは、見た目ではわからないけれど、すごく美味しい。そして美味しいものにはある程度の値段となることは理解してもらえる。ところが、行きすぎた値段のものもあって、それはもうアルティジャナーレではなく、一種のブランド品。高級な素材を使っているという理由もあるかもしれないけれど、僕はそういう高級ブランドを目指しているわけではない」。
今後、アンドレアが専心するのは、このレベルを維持することだ。大きくするのではなく、今、達しつつある自分たちのできる最高のレベルを維持することが最大の目標であり、他に店を作ることにも関心はない。
「anima(魂)は1箇所に一つ。自分の持つanimaは一つだけだから1箇所にいることしかできない。自分が生まれた場所で、自分の知っている景色、人、全てがここにある。ここで生きていきたい、だからここで仕事をして、生活をしている」。
あの破格の笑顔は自分の土地で、思い描いた理想が形になりつつある、その充足感から生まれたのだと確信した。
Gustificio https://gustificio.com
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