日本のイタリアンを旅する08 銀座サバティーニで味わう1kgキアニーナ
この写真に見覚えがある方はいるだろうか?そう、80歳を迎える今年も「銀座サバティーニ」でサービスに従事する超ベテラン、プリモ・トンバ氏だ。「銀座サバティーニ」は本家フィレンツェ「サバティーニ」東京店として、日本のイタリア料理ブームに先立つ1981年に… 続きを読む
この写真に見覚えがある方はいるだろうか?そう、80歳を迎える今年も「銀座サバティーニ」でサービスに従事する超ベテラン、プリモ・トンバ氏だ。「銀座サバティーニ」は本家フィレンツェ「サバティーニ」東京店として、日本のイタリア料理ブームに先立つ1981年に… 続きを読む
古い旅の記録を読み直してみたら、弘前の「オステリア・ダ・サスィーノ」に行くのは2007年以来12年ぶりだった。ササくんこと笹森通彰シェフとはじめて会ったのは、彼がカターニアの「イル・クチニエレ」でカルメロ・キアラモンテと働いていた2002年12月。カ… 続きを読む
ヴィーガン、とは1944年イギリスに設立されたヴィーガン協会によって作られた言葉だ。肉や魚の摂取しない菜食主義=ヴェジタリアンとは異なり、ヴィーガン主義=ヴィーガニズムは「人間とは動物を搾取せずに生きるべき」という教義に基づく。ヴィーガンの中でも極力… 続きを読む
過日モデナを訪れた時のことである。「オステリア・フランチェスカーナ」の前でセコンドシェフのダヴィデと立ち話をしていると、ちょうど乗ったマッシモ・ボットゥーラが現れた。以前からマッシモはモデナ郊外に田園ホテルを作りたいと話しており、この時はちょうどその… 続きを読む
ボローニャからローカル線で3駅20分、サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェートに着く。駅を出るとすぐ傍に工場らしき建物があり、線路の引込み線が工場敷地に続いている。この工場を除くとほとんど何もない駅前の並木道を歩いて行くと、左手に工場建物の正面が見え… 続きを読む
GIORGIO PINCHIORRI ジョルジョ・ピンキオーリ 1943年モデナ近郊の農家生まれ。5才の時、大雪で生家のブドウ農園は大打撃を受けるが子供の頃からワイン作りを目指す。少年時代に母と共にフィレンツェに移り、ホテル学校でサービスマンとしても勉強を… 続きを読む
「アンティカ・オステリア・デル・ポンテ」はグアルティエロ・マルケージに続き、1990年にイタリア史上2番目の3つ星に輝いた名店である。シェフ、エツィオ・サンティンは1976年にミラノ郊外カシネッタ・ディ・ルガニャーノの橋のたもとの古い料理旅館を買取り… 続きを読む
「Alter Ego アルテレーゴ」とはラテン語で「もうひとつの人格」という意味だが、イタリア料理の世界においては、今年2月神保町にOPENした徳吉洋二シェフの「分身」つまり、ミラノの一つ星「TOKUYOSHI」の東京店のこと。ミラノ「TOKUYOSHI… 続きを読む
過日、パスタ・マンチーニのイベント「トレッビアトゥーラ」に参加した際、フィレンツェの3つ星「エノテカ・ピンキオーリ」シェフ、リッカルド・モンコと話をした。「名古屋のエノテカ・ピンキオーリが一つ星をとったの知ってるか?」というのでそのニュースはすでに知… 続きを読む
昨年末をもってそれまでのシェフ、ジュゼッペ・モラーロがイタリアに帰国。現在故郷ナポリで開店準備中だが、新シェフに就任したカルミネ・アマランテの料理も一度試したいと思っていた。ここのところ日本帰国時には毎回一度は「ハインツ・ベック」を訪れているが今回は… 続きを読む