コロナ後の未来へ6 「レストランは終わった」ヴィッサーニの場合
ジャンフランコ・ヴィッサーニ Gianfranco Vissaniは普段から歯に衣着せぬ物言いで賛否両論はあるものの、イタリア料理界において良くも悪くも最も影響力あるシェフの一人である。1951年スポレートに生まれたヴィッサーニはホテル学校を卒業後、イタ… 続きを読む
ジャンフランコ・ヴィッサーニ Gianfranco Vissaniは普段から歯に衣着せぬ物言いで賛否両論はあるものの、イタリア料理界において良くも悪くも最も影響力あるシェフの一人である。1951年スポレートに生まれたヴィッサーニはホテル学校を卒業後、イタ… 続きを読む
アブルッツォ・ワインの名醸地コッリ・キエティーニにある「マッサリア・ディ・サルキアッポーネ Massaria di Sarchiappone」はサルキアッポーネ家がはじめたアグリトゥーリズモだ。アントニオ・サルキアッポーネ Antonio Sarchiappo… 続きを読む
一般消費者とメーカーとの双方向コミュニケーションという点で、ワイン業界に遅れを取っているオリーブオイル業界。それでも、ENOツーリズムの成功に着目したオリーブオイル生産者が徐々に増えてきており、フラントイオの見学やその場でのテイスティングができる機会… 続きを読む
アブルッツォ州都であるペスカーラから、内陸部の山岳地帯グランサッソに向かって車を走らせること約1時間。チヴィテッラ・カサノーヴァ Civitella Casanovaにあるミシュラン1つ星「リストランテ・バンディエラ Ristorante Bandiera」… 続きを読む
「パスティフィーチョ・マンチーニ Pasta Mancini」はマルケ州内陸部、フェルモ県モンテ・サン・ピエトランジェリにある。2010年に誕生した若いパスタメーカーだが、ここ数年EATALYなどもでよく見かけるようになり、その存在感は年々増していること… 続きを読む
今回アブルッツォのワイナリーを巡る旅は、モンテプルチアーノ・ダブルッツォDOC制定50周年を記念しアブルッツォ・ワイン生産者組合 Consorzio Vini d’Abruzzoによってオーガナイズされ、世界中から約40名のジャーナリストを招聘… 続きを読む
「トラボッコ」というのはアブルッツォからモリーゼ、プーリアの海岸線に見られる一種の漁師小屋のことだ。木で足場を組んだような形状の小屋はアドリア海に沿って走る電車の中からも見えるので、あるいは見たことがある人もいるかもしれない。アブルッツォ州オルトーナ… 続きを読む
次に訪れたワイナリー「コーディチェ・チトラ Codice Citra」は1973年創業の生産者組合。組合とはいえ、キエティ県に9つのワイナリーを持ち、3000のブドウ農家が加盟。キエティ県のほぼ全域に当たるアドリア海の内陸部40km、南北90kmにおよぶ… 続きを読む
キタッラとはイタリア語でギターを意味するが、イタリア料理の世界ではギターのように弦を張り巡らせたパスタ・カッターのこと。あるいはその道具を用いて主に中南部イタリア、特にアブルッツォで作られるパスタのことだ。正式にはスパゲッティ・アッラ・キタッラと呼ば… 続きを読む
3件目のワイナリーは1978年創業の「ザッカニーニ Zaccagnini」。当初は小さな家族経営、生産するワインは量り売りもしくは他メーカーへ売却と、かつてのアブルッツォによくあるスタイルのワイナリーだったが1992年からクオリティワインにスタイルを変… 続きを読む