シチリア美食の王国へ29 オスタリア・デル・ヴィーコロ@シャッカ

アラブの雰囲気漂うシャッカの路地裏で、じっとお客の反応を伺う主人

アグリジェント近辺に滞在中ならば、一度は行くであろうレストランがシャッカにある「オスタリア・デル・ヴィーコロ」。1985年開店の当時としてはワインと洗練の料理を謳った先進的なレストランである。今なお、街の名士や美味しいもの探しの旅行者のタッパ・オブリガトリア(立ち寄るべきスポット)で、アグリジェント近郊にたいしたレストランもないことからも、車を飛ばして皆やってくるのだ。

シャッカはアグリジェントより西へ60キロあまりの海辺の高台にあり、夏は海、冬の終わりはカーニバルを楽しむ客で賑わう街である。もとはイスラム教徒が作った街で、シチリア最古の温泉地としても知られ、温泉好きの古代ローマ人がアグリジェント侵攻の前哨基地を置いていたというテルメとしては由緒ある地である。

海に向かって落ち込む崖にへばりつくようにある街は、旧市街ほど道は狭く、アラブの街のように入りくんでいる。例によって駐車スペースはほとんどない。カーニバル時期なんかだと最悪で(まさに私達がはまったパターン)、街のはずれに車を停めて、延々中心地に向かって徒歩で行くしかない。とはいえ、それほど大きな街ではないので、食前食後の軽い運動程度ですむはずだ。

「オスタリア・デル・ヴィーコロ」は旧市街の見晴らし台、スカンダリアート広場からちょっと上った脇道にある。ヴィーコロとは路地という意味だから、店名は“路地にあるオステリア(居酒屋)”。店内は狭く(たったの38席)、壁の一つにはずらりとワインが並んでいる。居酒屋、と店名にあっても、インテリアはエレガント系で、けして食堂や飲み屋といった雰囲気ではない。客層はビジネスグループから家族連れ、旅行者まで。サービスは店主のアントニーノ・ベンティヴェーニャともう一人が担当している。でも、料理やワインの説明はアントニーノでないとだめらしい。

彼は店の正面奥、厨房との間の料理が出てくるカウンターのそばにじっと待機している。そして、客がオーダーしたいとか、質問したい、という素振りを見せるとすかさず寄ってくる。こちら側の一挙手一投足を監視しているようでちょっと落ち着かない。アントニーノに、一皿のポーションがどのくらいだかわからないので少なめにオーダーしようと思う、と告げると、「それでは前菜一つ、プリモ二つ、セコンドを一つお持ちしましょう。セコンドの時に足りなければ追加を」と言う。親切で丁寧である。ちょっと小声なので聞き取りにくいが。

ワインリストも細かく丁寧だ。特にシチリアワインについては、かつてイスラム時代にシチリアがヴァル・ディ・マザラ(西部)、ヴァル・ディ・デモーネ(東北部)、ヴァル・ディ・ノート(東南部)に分けて統治されていたのに習って、三つの地域に大きく分けてリストアップしてあるのが印象的。シャッカがイスラム教徒によって作られた街であるという歴史を意識しているのだろうか。

ワインに“うるさい”と評判のアントニーノに値ごろ感のある白を頼む。地元メンフィの協同組合セッテソーリの「フレッタ・マンドラロッサ」’01、シャルドネとグレカニコの、フルーティでこくのあるタイプを持ってきてくれた。フレッタとは、「山猫」で有名なジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの別の短編のタイトルからとったという。そういう豆知識のようなものを付け加えることも忘れない細やかな配慮。

料理もアントニーノの気性が表れた、素材を吟味し、しっかりと仕込みに時間をかけて丁寧に作りました、という感じである。勢いとかパンチ力とかではなく、目指すベクトルがバランスの良さ、品と言う方向に向いている。だから、どの料理も行儀よく、安心して楽しむことができる。しかし、それだけでは印象が薄く、私の中には何も残らない。ゴージャスで洗練されたものよりも、がつんと仕掛けてくるパワーが欲しいと思うタイプなのである。ここではそれが、ドルチェだった。デザートメニューに気になる名前「オーヴァ・ムリーナ」を発見。ムリーナ(ムレーナ)とはうつぼである。直訳すれば、うつぼ卵、ちょっと気持ち悪い。

「これはこの地方に伝わる非常に珍しいお菓子を再現したものです。ある農家のおばあさんがクラウズーラ派の修道院に伝わるレシピを持っていたので、それを蘇らせようと15年前に作ったのが始まりです」とアントニーノ。このお菓子は、ふんわり厚手のクレープ状の生地を焼き、そこに白いクリームのようなものを載せて端から巻いたロールケーキである。外側の生地は砕いたアーモンド、カカオ、シナモン、中身はズッカータと呼ぶ白いウリと牛乳、砂糖を煮上げたクリーム。「このお菓子の発祥にはいろんな逸話があります。ある領主が冬に修道院を訪れ、その時にカンノーリが供されたのです。その美味しさが忘れられなかった領主は夏に再び訪れた時もカンノーリを所望しました。しかし、腐りやすいリコッタは夏場には作られないためカンノーリもない。修道女は思案した挙げ句、このカンノーリに似たお菓子を発明した、と言われています。また、この地方では、一番最初に生まれた娘を修道院に差し出す決まりがあって、娘と引き換えに修道院からはお返しとしてこのお菓子が贈られる伝統があったようです」。見た目がうつぼにも似ているし、カンノーリに近いと言われればそんな気もしてくる。食べた食感は外側の生地のアーモンドのぷつぷつとした歯ごたえと、中身のクリームのさらっとしながら同時に口の中でもったりと押し返すような弾力のコントラストが面白い。このクリームはリコッタに似ていると言えば似ているが、香りは大人しく、植物性の優しい感じが食後にはかえっていい感じだ。添えられたオレンジピールと一緒に食べるとなお風味が増して美味しい。このクリームではズッカータという特殊なウリがその独特のテクスチャーを生み出す秘密らしい。しかも、この質感を得るにはさらに秘密があるようで(教えてくれない)、近隣のパスティッチェリアがなんとか再現しようとしているのだが、未だに成功していないという。そう語った時のアントニーノは、いつもよりちょっと声高になっているような気がした。

「オスタリア・デル・ヴィーコロ」と同じ通りのやや坂下に、系列のエノテカがある。夜のみの営業で、カウンターとテーブルが何卓かあるだけの小さな店だ。「オスタリア・デル・ヴィーコロ」とは違って、安い価格帯のワインを気楽に飲むための本当の意味での居酒屋。購入もできるので、気が向いたら立ち寄ってみたい。

Hostaria del Vicolo(オスタリア・デル・ヴィーコロ)
Vicolo Sammaritano,10 Sciacca (AG)
Tel0925-23071
www.hostariadelvicolo.com
ninobentivegna@hostariadelvicolo.com
月曜休み 予算目安:34ユーロ
食べたのは、前菜「ミスト・デル・ヴィーコロ」(メルルーサの卵のパイ包み、ガンベリとズッキーニの串刺し、ガンベリ・バターの五穀パンサンド、野菜とヴォンゴレのミニタルト)、パスタ「アンチョビ・ペーストとナスのカサレッチャ」「リコッタのラヴィオリ・ミニトマト、ガンベリとオレンジのソース」、セコンド「カジキのインヴォルティーニ・ケイパー、グリーンオリーブ、ミニトマトのソース」、ドルチェ「オーヴァ・ムリーナ」「ズッキーニとシナモンのトルタ」。ほとんどが魚介料理だが、肉料理も少しある。オステリエ・ディ・イタリアによると、「リコッタ・サラータ添えイカスミのリゾット」や「海の幸のスパゲッティ・野生のフェンネル風味」もいいらしい。

山猫とモンタルバーノ警部ゆかりの地を訪ねて

アグリジェントではまずは神殿の谷を見るとして、もう一つ、文学にあるいは演劇に興味のある向きには、カオスにあるノーベル賞作家ルイジ・ピランデッロ博物館を訪ねてみるのもいい。生家を改装した小体な博物館とそこから徒歩10分ほどの海に向かった断崖の墓を見ることができる。また、2002年にイタリア国営放送RAI1でシリーズ放映され、シチリア・ブームを巻き起こした「モンタルバーノ警部」の小説の舞台は作者アンドレア・カミッレーリの生地でもあるアグリジェント周辺である。小説の中では、実際の地名を若干変えてはいるが、地図上の地名と照らし合わせながら見ていると大体それがどこのことかわかる。SciaccaはFiaccaに、MenfiはMerfiに、GelaはFelaにといった具合。ドラマの撮影自体はそれら実際の街を使わずに、もっとイメージに合った場所(例えばラグーサ・イブラ、モディカ、ドンナルカータなど)で行われたが。ちなみにこの小説の作者はアグリジェントすぐそばのポルト・エンペドクレの生まれだ。もうひとり、この近辺で重要な作家といえば、「山猫」を書いたジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサがいる。トマージ・ディ・ランペドゥーサ家はパレルモの貴族でその所有する屋敷は各地にあったが、ジュゼッペが子供の頃の幸せな時期を過ごした家は、パレルモの屋敷と、サンタ・マルゲリータ・ディ・ベッリチェにあるフィランジェーリ・ディ・クトー館だったという。しかし、このクトー館は1968年の地震で崩壊してしまう。現在はぴかぴかに修復され、サンタ・マルゲリータ・ディ・ベッリチェ市の所有となり、“文学の園”として一般に公開されている。この屋敷に隣接していた教会は地震当時崩壊のまま残されていて、内部の祭壇などが陽にさらされているのがなんとも異様な雰囲気だ。

La Casa Natale di Luigi Pirandello(ピランデッロの生家)
Contrada Caos, ss115 Villaseta (AG)
8:00-20:00

Parco Letterario Giuseppe Tomasi di Lampedusa
(トンマージ・ディ・ランペドゥーサの文学園)
8:30-13:00 15:30-18:30 土曜9:30-13:00 16:00-18:30
水曜、日曜の午後休館