シチリア美食の王国へ37 エトナの自然が育む豊かな食

オレンジ、ワイン、ピスタチオ、エトナの自然が育む豊かな食

カターニアの街を少し離れると風向きと天気に恵まれた日には山頂に雪を頂いたエトナ山がはっきりと見える。標高3323mのエトナ山はアルプス以南で最も高い山で活火山である。エトナ山麓の暮らしはエトナ山の恩恵をうけつつもつねに厳しい自然との戦いの連続である。2002年の年末に噴火した時は溶岩流、火山灰の被害が凄まじく、カターニア市内の歩道は灰で黒く埋まり、歩行者は晴れの日でもマスクをしたり傘をささなければ家に帰って髪の毛をかくと火山灰がばさばさ落ちてきたという。こんなにひどい灰は生まれてはじめてというカターニア人も多かったそうだ。エトナ山が噴火する時、風向きの関係で灰が積もるのはいつもカターニアであり、山頂からの直線距離がほぼ等しいタオルミーナには決して灰が積もることがない。1669年の噴火ではカターニアの港が溶岩流で埋まり、1693年の大地震と合わせてカターニアの街はほぼ壊滅、ウルシーノ城など一部の堅牢な建物を覗きカターニアで17世紀以前の建物を目にするのは容易ではない。ドゥオモ広場に立つ街のシンボル象の噴水は、溶岩流で作られたローマ時代の象がオベリスクを背負う、溶岩に抗う象徴として1736年に設計された。カターニア人のメンタリティはエトナ山の存在を抜きにしては語れない。

有史以来百数十回、ならせば百年に十数回は噴火し続けているエトナ山だが、それでもシチリア人がこの地を離れないのはなによりもエトナが魅力あふれた土地だからだ。

グルフィ、ベナンティなどの有名ワイナリーでエノロゴ(醸造責任者)をつとめるカターニア生まれのサルヴォ・フォーティによるとエトナ近辺の農業従事者は山岳信仰とも呼べる畏怖の念を持ってエトナに接しているそうである。紀元前11世紀頃イタリア半島から渡ってきたとされるシクリ族はエトナ山でワインを作り祭事の時には神に捧げていたが、紀元前8世紀にギリシャ人が入植しはじめるとブドウ栽培と醸造法が本格的にエトナの地に伝わる。エトナ山にまつわるギリシャ神話は数知れない。ユリシーズがワインを使ってエトナ山の怪物ポリュペモスを酔わせディオニソスを助ける話が「オデュッセイア」に出てくるし、ギリシャの劇作家アテネオはロクレジの王がエトナ山に最初のブドウの苗を植える場面を描いている。神話の時代からエトナ山は神とワインの土地だったのだ。その真偽はともかくとしてエトナ山麓は噴火を繰り返して肥沃な土地となり、その住民はエトナ山からのあらゆる恩恵を教授享受しているのである。例えば山の東側にあるミロの村では地熱の影響で年間を通じた平均気温は20度近い。ぶどう栽培地域は冬でも氷点下になることはなく、内陸では40度近くなる真夏でもエトナ山ではそれほど気温も上がらない。シチリアでは毎年夏になると水不足、旱魃、そして水マフィアという話題が持ち上げるがエトナ山では降水量も十分である。土壌は火山灰、火山岩を多く含んだアルカリ性で黒く、砂状で吸水性に富む。特にこの軽石状の土は「リピッドゥ」と呼ばれ鉄分と銅を多く含み、カリウム、リン、マグネシウムが豊富と、農業には最適の条件を幾つも兼ね備えた土地なのである。特に有名なのはカターニアの市場で見かけるオレンジ、オリーヴ、ぶどう、各種の果物、そしてピスタチオ。

ピスタチオは主にエトナ山西部の標高760mの街ブロンテ周辺で栽培されている。カターニアから南回りでブロンテを訪れると分かるが旧勾配の坂道を上り続け、オレンジやブドウといった地中海的な植生が見えなくなる頃、むき出しの溶岩の丘に生える何千、何万というピスタチオの木が見えてくる。イチジクに似た木のピスタチオはイラン近辺が原産地とされアラブ人がシチリアに持ち込んだ。トルコやイラン、アメリカでよく栽培されているがブロンテ産のピスタチオは味の良さ、色の良さで他を圧倒し、紫色の薄皮と鮮やかなエメラルド色が特徴で一目で分かる美しさで、そのぶん値段は高い。収穫は二年に一度、九月になると町中総出で老いも若きも男も女も溶岩の斜面をよじのぼりピスタチオの実を手摘みするそうだ。残念ながらこの小さなブロンテの街にはピスタチオ専門店は存在せず、数件あるバール件菓子屋でピスタチオのジェラートやトルタ、クレーマなどを販売しているのみ。ピスタチオを味わうならこうした店を探したい。

ある日、ブロンテ郊外にあるトラットリアで雨雲がたれ込めるエトナ山を眺めながらピスタチオのパスタを食べていると、雨上がりの山道をロバの背に跨がりてくてく行く老人の姿が店の窓から見えた。今までのシチリアの度でもロバに乗る老人は初めてみた。今は本当に21世紀なのか?思わず自分の目を疑ってごしごしと擦ってみたけど老人はまだそこにいた。じっと見つめているとロバは意外にも早い足取りであっという間にエトナ山へと消えて行った。