Clay Regazzoni死す
ニキ・ラウダと同時代にフェラーリで活躍し、脊椎損傷後は車椅子姿の元F1ドライバーとしてカリスマ的人気を誇ったクレイ・レガッツォーニが12月15日交通事故で死亡した。(詳細不明)ミッレ・ミリアやタルガ・フローリオなどイタリアを代表する華やかなモーター・スポーツ会場では彼の姿を何度か見かけたし、フェラーリが彼に贈った下半身を使わずに運転できる特別仕様フェラーリでシチリアの地を駆ける姿も目の当たりにした。マドニエ山中にあるタルガ・フローリオのスタート地点にレガッツォーニのフェラーリが登場すると観客は狂喜乱舞したものである。その陽気な性格から「スイス系ナポレターノ」という異名もあった。 レガッツォーニとの邂逅で忘れられないのは2002年の6月、熱暑のシチリア。その日のタルガ・フローリオを終えてホテルに帰り、W杯日本Vsロシア戦をバーでともに観戦。稲本のゴールによる記念すべきW杯初勝利を周囲のイタリア人、ドイツ人すべてが祝福してくれたが、レガッツォーニのみ私に「おまえら試合を買収したのか?」といい放ってくれた。 あくまでもクール、ダンディ、カリスマティックな巨星は路上の露となってその激しい生涯を終えた。シチリアで見たあのフェラーリもともに散華したのだろうか?冥福を祈る。 古いアーカイヴを探したら貴重な写真が見つかったのでUPします。写真は2003年タルガ・フローリオ最終日のスタートを待つクレイ・レガッツォーニ。MASASAPORITAをもっと見る
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レガッツォーニ、亡くなってたんですね。というか彼と言葉を交わしてたって凄い!そんな日本人あまりいないかも。ガキの頃「Carグラフィック」の記事で伝説的な名前は知っていました。
Yo様。タルガとミッレミリアでレガッツォーニとは合計4回顔をあわせてたので「いつもこうるさい日本人がいるな」ぐらいには覚えていてくれたかもしれません。2003年のタルガのスタート時、「頑張ってください!!」「おお、グラッツィエ」とかなんとか言葉を交わした記憶も蘇ってきました。スタートを待つレガッツォーニの名前がアナウンスされると、田舎の特設スタンドにわきおこった大歓声とスタンディング・オベーション、6月のシチリアの青い空同様、生涯忘れられない光景でした。MASA