イタリア縦断鉄道の旅03コロンブスの像が旅人を見守るジェノヴァ

5分遅れでニースからやって来た15時05分発ジェノヴァ行きエウロシティ「サンレモ号」に乗り込む。これはコンパートメント・タイプの客車で同席は2人のフランス人男性。

サンレモ、インペリア、アルベンガ、右手に見えるのははどこまでも続く青い海。西リヴィエラ、リヴィエラ・ポネンテの美しい海岸線は見飽きることがない。

電車は途中で遅れを取り戻し17時05分、定刻通りジェノヴァ・ポルタ・プリンチペ駅着。14.57ユーロ。久しぶりにポルタ・プリンチペの地下道をくぐって駅前のアックアヴェルデ広場に出ると、12年前にはじめてジェノヴァを電車で訪れた時の記憶がよみがえってきた。その時はやけにくすんでごみごみした街だと思ったけれど、その印象は今も変わらない。相変わらず駅前は猥雑で外国人労働者が多く、決して上品な雰囲気ではない。そんな群衆を見下ろすように立っているのがジェノヴァ出身の偉人クリストファー・コロンブスの像。旅人に祝福を与えてくれるようで勇気づけられるとともに、遠くに来たという思いが強まる。その昔ジェノヴァは地中海へ、そして新大陸へと向う旅立ちの街だったのだから。

昼にあれだけ食べたし背中もまだ痛むので、今日はそうそうに寝ようと風呂に入っているうち小腹が空いてきたのでホテル脇の「バール・カーヴォBar Cavo(Via Balbi, 169/171r GENOVA)にぶらりと入ると、これが実にいいバールだった。カウンターでプロセッコを頼むとしばらくして出てきたのがモルタデッラ、サラミ、一口大の サンドイッチなどが盛られた豪勢なつまみ、ストゥッツィッキーニが出てくる。こういう店で一杯だけ飲んで出るのは店に悪い。今が盛りの新種ヴィーノ・ノ ヴェッロを地域別にさらに2杯立ち飲みしてから店を出る。

ほのかに潮が香る、ジェノヴァの夜10時。バールを出て薄暗い港のほうにぶらぶら歩くが、さすがにこの辺りは少々物騒な空気が漂っている。薄汚れた建物は廃墟のようで灯りがささない薄暗い路地も多い、あまり足を踏み入れたくない雰囲気 である。そんな一角に蛍光灯がぼんやり灯るうらぶれたバールがあったのでグラッパを立ち飲みしていると、奥の部屋ではサッカー中継中。観戦料1人3ユーロ と書いてあった。

ポルタ・プリンチペ駅の東に「フニコラーレ・プリンチペ・グラナローロ(Funicolare di Principe – Granarolo)」という短いながらも現役のケーブルカーがあるので翌朝乗りにいく。これはその名の通りポルタ・プリンチペ駅と標高220メートルに ある集落グラナローロを結ぶ生活路線である。始発のポルタ・プリンチペ駅から乗り合わせたのは地元の老人2人。アプト式ケーブルカーはあっという間に急勾 配を上り始め、車窓からはジェノヴァ湾が見えたと思ったらもう停車。一つ目の停留所で1人おり、二つ目でもう1人おりて車内には自分一人になると「ここが 終点だよ」と車掌から声をかけられた。気づくと、ここがグラナローロ。時間にしてわずか5分で終点である。

15分後に折り返して来るという ので黒づくめの3人の老婆と並んでベンチに腰を下ろして待つ。やけに重そうな荷物が多いので乗り込むのを手伝ってあげると、中身はしぼりたてオリーブオイ ルで、ひとつ下の駅に住む親戚に届けにゆくという。下りる際も手伝ってあげると3人が声を揃えて「グラッツィエ」といってくれた。

旅の終わりにボッカダッセに行くことにする。ここはポルタ・プリンチペと並ぶジェノヴァの主要駅ポルタ・ブリーニョレからさらに東へ4キロほど行った古い小さな漁師の集落である。近代的なジェノバ中心部からわずかの距離にあるというのに、ボッカダッセは時間の流れがとまったかのようなたたずまいを見せている。小さ な入り江と色鮮やかな古い家がいくつか並び、漁船の脇では漁師が網を繕っている。岬の突端には、岸壁の一部と化したようなレストラン「サンタキアラ Santa Chiara(Via Al Capo di S.Chiara,69 GENOVA tel010-3770081)があり、シンプルで新鮮な魚介料理を食べさせてくれる。「これは私たちが一年中昔から食べている料理よ」とシニョーラが出 してくれたのはエビ、タコ、イカといった魚介類が入った冷たい米のサラダ「インサラータ・ディ・リゾ」。これに上等のオイルをかけ、窓から海を見ながら頬 張ると、リグーリアから離れたくなくなる。電車の時間が段々近づいているというのになかなか席を立てず、岸壁にぶつかっては窓にかかる波しぶきを長いこと見ていた。

※データは2007年10月当時のものです。