イタリア縦断鉄道の旅05 オリエントへの旅の出発点 ヴェネツィア
東北イタリアを旅する際に起点となるのは、いつもヴェネツィア・サンタ・ルチア駅である。本土側のメストレ海上に作られた線路で結ばれる1841年まで、1000年間に渡ってヴェネツィアへの唯一のアプローチは水路であった。ナポレオンによって共和国の歴史に終止符を打たれた海の都ヴェネツィアにとって、この鉄路は近代化への虹の架け橋であり、同時にアインデンティティ喪失の証である。しかし海上を一直線に切り裂く鉄路で第三世代ETR500でヴェネツィアに入ると、その旅気分はいやがおうにも盛り上がる。間もなく終点、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅です、とのアナウンス。まばらになった乗客とともに海の都のプラットホームに降り立つ。 中世の頃からオリエントへの玄関口だったヴェネツィアは、交通手段こそ船から鉄道に変わったものの今も中東欧諸国へ向かう発着駅である。 ヴェネツィアからそうした国々へ向う国際列車のネーミングには、特別な意味が込められているように思える。例えばウイーン行き夜行列車エウロ・ノッテ・アッレグロは「トスカ号」「ロッシーニ号」「リゴレット号」、昼行のエウロ・シティなら「ストラディヴァリ号」「ヨハン・シュトラウス号」、もしくは急行エスプレッソ「アイーダ号」と音楽の都へ向かうだけに両国の音楽にちなんだ名がつけられている。同じくプラハ行き夜行エウロ・ノッテはモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ号」。なぜモーツァルトなのにウイーン行きでなくプラハ行きかというと、「ドン・ジョヴァンニ」は1787年にプラハ国立劇場で初演されたからである。オペラの国はだてではない。こうした列車ひとつひとつにも誇り高き歴史が刻まれているのである。 そんなヴェネツィア・サンタ・ルチア駅のBGMならやはりオペラがよく似合う。高揚感ある旋律に満ちた「ドン・ジョヴァンニ」序曲にはじまり、「静かに、静かに」と歌い出す「セビリアの理髪師」の二重唱「ピアノ、ピアニッシモ」へ。その歌詞は、まるでイタリア鉄道の旅はゆっくり、のんびり、静かに行こうと歌っているようで、まさに今回の旅のテーマ曲にぴったりではないか。 夕暮れ時のヴェネツィアは街角にぼんやり灯りが灯り始める、街が一日で最も妖しく輝く時間帯。細い路地をゆく人の流れに沿って、足早にリアルト橋西岸へと向う。ここペスケリア市場周辺は「バーカロ」もしくは「オステリア」と呼ばれる立ち飲み酒場がひしめくエリア。ヴェネツィアで夜毎繰り返されるバーカロめぐりはここからはじまる。 まずはヴェネツィアに来たら必ず一度は寄りたい老舗酒場「ド・モーリ」へ。薄暗い店内に佇む店主と目で挨拶を交わし、イワシ・マリネやバッカラのクロスティーノ、ポルペッティーナを摘む。ワインは、プロセッコ、リボッラ・ジャッラ、次いで出来たばかりの新種ヴィーノ・ノヴェッロ。グラスは控えめサイズなので量はさほどでもない。壁際にもたれて静かに飲むこと約30分。この店で長居は野暮。次いで近くの「ディアヴォロ・エ・アックア・サンタ」に向かう。 この店はテーブル席でちゃんとした食事もできるが、カウンターの端でゴンドラ乗りや地元の親父連に混ざって立ち飲み、立ち食いしている時間が実に心地よい。眼鏡の店主と挨拶を交わし、プロセッコ、そして「ゴティーノ」とよばれるコップ酒でハウスの赤。ラデッィキオ、バッカラ、イワシの詰め物といった揚げ物盛り合わせはレンジでチンして出してくれる。さらにポルペッティーナ・イン・ウミド。こうしたつまみはいずれも1ユーロ程度から。「ド・モーリ」と違って温かいつまみ「チケーティ」があるので、2件目に行くのにちょうどよい。ここにも30分ほどで別れを告げ、霧が出始めたヴェネツィアの細い路地を歩く。 次に行くのはサン・ジャコモ・ドーリオ広場にある「アル・プロセッコ」。ここはワインの種類が多く、テラス席もテーブル席もあるが小さなカウンター付近で立ち飲みがいい。プロセッコ片手に、小腹が空いたのでカポコッロというサラミとヴェネト特産の野菜ラディッキオの一口サイズのパニーノ。さらにソプレッサというサラミとワインで洗った「酔っぱらいチーズ」という意味のフォルマッジョ・ウブリアコのパニーノ。ここも混み始めたので早々に立ち去るがこれで勘定は5ユーロ程度。 本日のバーカロめぐりの最後はサンタ・ルチア駅にも近い裏通りにある「リヴェッタ」。親子で経営するこのオステリアはほぼ100%地元の客のみ。奥のテーブル席は満席状態。カウンターも混み合っているが隅にスペースを見つけ、果実本来が持つ甘みが特徴的な北東イタリアのぶどう品種、マルベックの新酒を一杯。一升瓶のような大瓶から母上がどぶどぶと注いでくれるコップ酒は0.80ユーロ。バッカラにケイパーを散らしたクロスティーニではじめ、パンからはみ出す巨大なゴルゴンゾーラの固まりが乗ったド迫力のクロスティーニ。最後は塩、胡椒、オリーヴオイルをかけて爪楊枝で食べる絶妙の半熟卵1/2ケ。仕上げに再びマルベック。さらに混み合って来たので早々に外に出ると、周囲はミルクのような濃密な夜霧。ますます妖しさを増してきたヴェネツィアの裏道を泳ぐようにホテルへ戻る。SAPORITAをもっと見る
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