イタリア縦断鉄道の旅10 イタリア半島最南端カラブリア

 

翌朝再びパスクアーレにナポリ中央駅まで送ってもらい、レッジョ・ディ・カラブリア行きESはナポリ中央駅でなく、その地下にあるピアッツァ・ガリバルディ駅から出る。地下鉄駅のように薄暗い構内にはバールも売店もなく、あまり長居したい雰囲気ではない。それでも近郊線がひっきりなしに発着しては乗降客を乗せては吐き出してゆく大都会ならではの光景。

8時42分発ES9371は旧型のETR480系だった。北イタリアでは最近めっきり乗る機会の減ったジウジアーロ・デザインの旧型ESだが、時刻表を見るとナポリ〜レッジョ・ディ・カラブリア間のESは全てこの形式らしい。こういうところでも南イタリアにやってきたリアリティは強まる。

ナポリからさらに南へと向う乗客はまばら。ヴェスヴィオ脇を通過してアマルフィ半島を横目にソレント、サプリ、パオラと停車。カンパーニャ州から一瞬バジリカータ集を通り、列車は長靴型をしたイタリア半島最南端、カラブリア州へと入った。長靴でいえばちょうど脚の甲にあたるラメツィア・テルメを過ぎると、遠くにストロンボリ島が見えた。シチリアの世界遺産、エオリエ諸島の活火山である。シチリア行きの列車を積み込むフェリー港ヴィッラ・サン・ジョヴァンニを過ぎると乗客はいつものように私ひとりになり、定刻通りの13時05分、レッジョ・ディ・カラブリア中央駅に降り立つ。

快晴だが、風は強く、本土とシチリアをへだてるメッシーナ海峡には白い波が無数に立っている。そうした狭い海峡を行く幾つものフェリー、そして対岸に見えるのはシチリアのメッシーナだ。ここは地の果て、カラブリア。ここより先はシチリアしか、ない。ナポリから475キロで4時間23分。1等車使用で57ユーロ。

ディーゼル・レジョナーレでレッジョ・ディ・カラブリア・リド駅まで一駅戻る。レッジョ・ディ・カラブリアは街の規模の割にはホテルもレストランも選択肢は少なく、必然的にリド駅周辺の幾つかのホテルから選ぶことになる。

有史以来幾度となく地震の被害を受けてきたレッジョ・ディ・カラブリアだが、今日見る街の姿は1908年の大地震の後に再建されたものである。それだけに街を行く通りは碁盤の目状にきちんと整備され、ギリシャ時代の面影は現在ほとんど残っていない。唯一変わっていないとすれば、きっと海岸通りから見えるシチリアの山並みとエトナ山の姿であろう。天気がよい日に海岸通を歩くと、シチリアが思いのほか近いことにびっくりするだろう。

最短部で3キロ。フランスやスペインと中近東、あるいはスエズ運河を抜けてさらに東へと向う際の重要な交通路であり、難所でもある。一日中ひっきりなしにフェリーや大型客船、タンカーが行き来し、海面下ではマグロやカジキの群れが猛スピードで交差する。メッシーナ海峡名物といえばカジキ料理である。

街の目抜き通りガリバルディ通りにコルドン・ブルーCordon Bleu(Corso garibaldi,205 REGGIO DI CALABRIA)という古いカフェがある。創業は1964年。夜更けにグラッパを飲みに入ると白いジャケットを来たバリスタが「ナカムラを知ってるか?」と話しかけて来た。もちろん以前この街のサッカーチームでプレーしていた日本人選手のことである。知ってるよ、と答えると、それではイナモト、スズキは?と矢継ぎ早に質問してきてどちらが日本人だか分からなくなってきた。

イタリア人のサッカー選手を見る目はやはりたいしたもので、それぞれの選手の長所と短所を短い言葉で的確に指摘してくる。それはスタンドで試合を観戦していても同じで、トリッキーなプレーに歓声が上がることは少なく、先を読んだプレーやインテリジェンスにこそ拍手が沸き上がる。グラッパのお代わりを注いでくれてるこのバリスタも、お前さんもしかして元プロ志望?と聞きたくなるほど、深く、洞察に満ちたサッカー論を語ってくれる。こういう玄人裸足の男たちは決してレジスタとかファンタジスタとか、漫画に出来てきそうな言葉は決して使わないのだ。

翌朝、出発前にホテル前のバールをのぞくとまだ開店準備中だった。それでも白髪のバリスタが迎え入れてくれたのでカプッチーノを頼み、「ブリオッシュがもうすぐ届くはずなんですが」などと話しているとちょうどパン屋のトラックが着いて焼きたてのブリオッシュが運ばれて来た。とりあえずひとつもらうとこれが甘く滑らかなリコッタ入り。シチリア近し、と思わせる味は旅の足取りを軽くしてくれる。

再びレッジョ・ディ・カラブリア・リド駅から中央駅まで一駅乗り、乗り換えまで時間があるのでイタリア最南端のクラブ・エウロスターで切符を何枚か発券し、ついでに「欲望という名の電車」ならぬ「電車の欲望」という名の駅前バールでパニーノや水を買い込む。

8時37分発、ラメツィア・テルメ行きのレジョナーレR3744は見たこともないほど恐ろしく古びた2両編成のディーゼル車だった。今日はこれから長靴のつま先部分から土踏まずにあたるカタンツァーロまでぐるりとイオニア海に沿って行く予定だが「大丈夫かいな」と思わせるほどのくたびれっぷり。

それでもガタピシと動き出したレジョナーレは結構快調に飛ばし始め、右手に見えていたシチリアがどんどん見えなくなってゆく。それにしてもこの鉄道の旅でアドリア海、ティレニア海とイタリアの海をあちこち見てきたが、最南部イオニア海の色といったらどうだ。蒼い絵の具に真珠の粉を混ぜ合わせたような輝きとテクスチャーをあわせ持つ地中海の青。ひと昔前までサッカーイタリア代表のユニフォームといったらこんな色合いだった。

シチリアが見えなくなったと思ったら海岸線には石造りの古い遺跡や城塞後が幾つも見え隠れする。左手は険しい山々が続くアスプロモンテ国立公園。検札にあらわれた車掌に到着予定時刻は時刻表通りかかたずねると「シィ、現在この列車は完璧に時刻表通りに運行してます」と「完璧に」にアクセントをおいて答えてくれた。

カタンツァーロ・リド駅着、定刻通りの11時25分。レッジョ・ディ・カラブリア中央駅から177キロ、9.50ユーロ、所要時間2時間57分。

カラブリアを代表するローカル線がカラブリア鉄道Ferrovia della Calabria(www.ferroviedellacalabria.com)。これは狭軌路線としてはヨーロッパ最高地点標高1450メートルを走る山岳列車で、カラブリア州内陸の街コセンツァを中心に7路線が営業している。今日はこれからカタンツァーロ・リド、カタンツァーロ・チッタ、そしてコセンツァへとカラブリア鉄道を乗り継ぐ総乗車時間3時間18分のハードな旅である。

トレニタリアの職員にカラブリア鉄道の乗り継ぎを尋ねると、駅舎の外だという。駅前は案の定何にもないが、少し行くと右手にそれらしき建物があり、カラブリア鉄道駅だと想像がつくが、通り沿いには何の看板も案内もない。

人気のない駅舎は落書きだらけ。切符売り場でコセンツァまで買おうとするとカタンツァーロ・チッタまでの切符しかないので、コセンツァまではカタンツァーロ・チッタで買えという。0.77ユーロ。カタンツァーロ・チッタでの乗り換え時間は10分、思えばここがケチのつきはじめだった。11時40発の列車は始発駅だというのに出発予定時刻を5分過ぎ、10分過ぎても現れず、ようやくあらわれたディーゼル車を見て一気に脱力した。恐ろしく汚いのである。ボディといわず窓ガラスといわず全身1ミリの隙もない楽書きだらけ。それも昨日今日書かれた楽書きではない。その上には何年も、いや、もしかしたら開業以来洗車などしてないであろう埃が堆積し、怨念が上空でとぐろを巻いているようである。

車内に乗り込めばビニールシートも壁も天井も一面の楽書きだらけで、床にはごみが舞う。「臭いから窓開けよう」と近くのイタリア人家族がいい、乗務員はそんな怨念列車を気にもせず、運転席の扉を開け放ったまま数人で笑い話に興じている。毎日乗る列車をこれほどの楽書きで埋め尽くす学生たちの負のエネルギーも相当なものだが、そうした事実に目も心も閉ざして、洗車も掃除もせずに怨念列車を日々の仕事場とする乗務員と、それに毎日耐えている乗客圧倒的な絶望、諦観、無関心が何よりも痛かった。

ようやく走り始めた列車の車窓に目をやればどこまでも続く不法投棄の粗大ゴミ、生活ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ。途中停車駅はまたしても全面の楽書きで埋め尽くされ、暗い目をした人々が下りの列車を待っている。胸が悪くなる最悪の20分間だった。

車内で「コセンツァ行きに乗り継がなくちゃいけないんですけど、大丈夫でしょうか?」とたずねる乗客に乗務員は「さぁ、分からないねぇ」と笑って答え、10分遅れでカタンツァーロ・チッタに着くと案の定コセンツァ行きは出発するところだった。急いで乗り込む際車掌に車内で精算してもいいか?とたずねると切符売り場まで走って買ってこいといわれ、切符売り場ではマイクが壊れていてお互いに何をいっているのかまるで聞こえない。それでもなんとかコセンツァ行きを買うと小銭はいいから早く乗れ、といわれ、ホームに出ると車掌に「走れ!!」といわれ重い荷物と煮えたぎる怒りを引きずって発車待ちの列車に乗り込む。するとこれが立っている客でぎっしり超満員。これはカラブリア鉄道のせいではないが。

ようやく空席を見つけて人心地着いたのは、客がひとしきり下りた出発後30分後だった。いうまでもなくこれまでのイタリア鉄道の旅、最悪の路線だった。

コセンツァからの列車も楽書きだらけなものの、カタンツァーロ・リド〜カタンツァーロ・チッタ線ほどではない。慣れとは恐ろしいもので、時折駅ですれ違う、ことごとく汚い車両を見ても徐々に何にも感じなくなってきた。恐らくは沿線住民もこうして心を麻痺させていったのかもしれない。

この路線はカラブリア国立公園があるシーラ山脈の山中を走り、車外に見える植生もオリーヴや広葉樹ではなく針葉樹である。厚い雲が低く憂鬱に垂れ込め、羊飼いも牛飼いもいないような寒い山の中を、全身にタトゥーをまとったような単線ディーゼル車はひたすら走り、トンネルを幾つも越えていく。そんな寒々しい風景が続くこと3時間、ようやく人里が見え始め、コセンツァに着いた頃には精魂尽き果て、ホテルに着くや否やベッドにばたりと倒れ込んでしまった。

とはいえ30分も経てば気力は完全に回復し、夕方の街を歩いてカラブリア名物の辛い腸詰めンドゥーヤやシラスの唐辛子漬けサルサ・マリーナ、辛い唐辛子、地元産のチーズやパン、ワインなどの珍品奇品を見つけては買い込み、部屋でつまみながら翌日のお弁当作りに精を出していた。