イタリア縦断鉄道の旅11 南イタリア3州横断

 

翌朝7時にタクシーに迎えに来てもらい、コセンツァ駅に向う。すると、駅は昨日と同じく、またしても人気がほとんどなかった。この駅は向って右がカラブリア鉄道、左がFSになっている。バールでカプチーノ飲みつつ列車を待つ。するとやってきたのはまたしても鄙びた1両編成のディーゼル車両。なんだか最近電化された車両にはとんとごぶさたな気がする。7時37分シーバリ行き、もちろん各駅停車のレジョナーレR8502は朝焼けの中、コセンツァ駅を出発する。山の端に朝日が当たるのを見ていると、コセンツァが山に囲まれた盆地にあることが分かる。正面に見える雪山は標高2000メートル級の峰が連なるポッリーノ山脈。しばらくすると山を下りて平野に出るすると人家もやけに多くなり、果樹やオリーヴが多くなる。カラブリア州は南イタリアだけに常夏の地かと思われがちだが、実は山深く、自然が厳しい土地なのだと改めて実感する。

8時42分シーバリ着。ギリシャ時代には絶大な権勢を誇っていたが、クロトーネとの戦いで町は壊滅、紀元前の遺跡が現在も残っている。今回の南イタリアの旅はこうした大ギリシア、マーニャ・グレチアの栄華をたどる旅でもある。寒かったカラブリアの山を下りると日差しは再び春のものとなり、ぽかぽかと陽の当たるホームで黒服の老婆と並び、どこから来たの?大変ねぇ、などという世間話をしながら乗り継ぎを待つ。

10時03分発メタポント行各駅停車レジョナーレR12734はお望み通りのディーゼル車。イオニア海沿いを走る線路は単線、無人駅では車掌が下りてベルを慣らし、手動でドアを閉めて回る。やがて州境を越えバジリカータ州に入る。メタポントもまたギリシャ起源の遺跡の町。ここでターラント行きに乗り換えるものだと思っていたら、そのままターラントに行くらしい。今日は綱渡りの4回乗り換えでカラブリア州からバジリカータ州、そしてプーリア州のレッチェへ行く予定なので一回乗り継ぎが無くなっただけでも心が大分軽くなる。

11時35分R3581と便名が変わり、あらためて同じ車両、同じ乗客のままターラントへ向けて出発する。まもなくプーリア州に入り軍港ターラントが右手に細長く見えてくる。

ターラント着12時25分、ここまではすべて時間通り。ここで12時47分発のブリンディジ行各駅停車レジョナーレR3611に乗り換える。すると今度はなんと文明の利器、電化車両ではないか。排気ガスの香りを嗅いで旅するのにも少々疲れて来たところだったので、足取りも軽く電車に乗り込む。両脇に広がるのは巨木のオリーヴが連なるオリーヴ畑、明るい風景、豊かそうな家々、奇麗な車内。カラブリア、バジリカータ、プーリアとひとくちに南イタリアといってもそれらの州間には大きな格差が厳然と存在する。それはこうして各駅停車でプーリア州に入ると、その豊かさがそれこそ手にとるように伝わってくるのだ。

ブリンディシ到着13時45分。ブリンディシは古代以来アッピア街道の終点であり、地中海を東へと向う船の出発港であった。その伝統は今も変わらず港からはギリシャ行きの船が出ている。本日最後の乗り換え、14時13分発各駅停車レジョナーレでレッチェへ行く。駅のホームで疲れて座っていると、その様子が隣に座っていた御婦人にも伝わったらしい。「飴食べる?」とキャンディをくれたので2人でしばらく飴をなめつつ列車を待つ。

14時13分ブリンディシ発、レッチェ着14時47分。本日の総移動距離297キロ、総乗車時間4時間59分、料金は13.22ユーロ。

ホテルへ続く旧市街の裏道を歩くと、あらためてレッチェの美しさに驚かされる。今回の南イタリアの旅で見てきた街には存在しなかった歴史的保存地区、チェントロ・ストリコがきちんと保存、整備されている。バロックの街並にはレッチェ産の石灰岩がふんだんに使われており、西日があたると黄金色とも薔薇色とも呼べる美しい色合いで街中が包まれる。

ホテルはバロック建築の極致、ロザリオ教会の隣にあるB&Bで、部屋の窓からはヴィットリオ・エマヌエーレ通りが真下に見下ろせる。

南イタリアのフィレンツェとも呼ばれるレッチェは歩く美術館という意味ではフィレンツェ同様だが、夜景の美しさではフィレンツェ以上かも知れない。ドゥオモと司教館のあるドゥオモ広場、サンタ・クローチェ聖堂、サンティレーネ教会、サンタ・キアラ教会、サン・マッテオ教会、いずれも16世紀から17世紀にかけてのスペイン支配当時のバロック建築で、素晴らしくスペクタクルな夏の夕暮れ時など、ため息のでる光景が毎夜この街では繰り広げられている。

レッチェに来たら寄りたい店があった。カザレッチャCasareccia(Via Costadura,19 LECCE tel0832-245178)で先代の伝説のおばさんシェフ、コンチェッタが現役の頃は、「あれ食べる?」「これもあるけどどう?」と次々と野菜中心のシンプルなプーリア家庭料理を食べさせてくれたものだった。久しぶりに店の扉をくぐって席に着くと、当時送った葉書が色褪せてはいるものの、まだちゃんと飾ってあった。現オーナー、カルメラが跡を継いだ後もその雰囲気は昔となんら変わっていない。料理を説明し、作り、運ぶのは全員妙齢の奥方たち。一度席に座ってみれば土地の人々がこの店を「レ・ズィエ=おばさんたち」と愛情をこめて呼ぶのがよく分かる。

「あんた前にも来たでしょ?」とカルメラが聞くので9年前と5年前に来た、というと「その頃から料理は何にも変わってないから安心して。で、今日は何食べる?」とまるで毎日来ているかのようにごく自然にもてなしてくれる。

まずは常備菜である酢漬けや温野菜ではじめ、ナス焼き、トマトのフリット、菜の花入りのスカッチャータ、ポルペッティーナ入りのトマトソースのオレッキエッテには地元のチーズ、リコッタ・フォルテをかけて食べる。最後は羊の腸の串焼き、ニュマリエッディ。その日あるメニューは全て口頭試問形式。プリモはここに書ききれないほど。セコンドは牛、馬、豚、羊となんでもある。その全てが厨房、ではなく台所で作られる家庭料理。何年経っても変わらない本質を決して失わない素晴らしい店。大体今時これほど安い勘定書は驚き以外の何ものでもない。