イタリア縦断鉄道の旅15 「魔法の道」クレーテ・セネージをゆく
昔トスカーナの田舎にあるアグリツーリズモに泊まっていた際、いあわせたイタリア人カメラマンにシエナの南に「魔法の道」の話を聞いたことがあった。ポスターやカレンダーでよく見るような、どこまでも続く緑の丘と糸杉並木、時折現れる絵画のような古い田舎家。そうした美しい風景が延々と続くのがシエナの南東、クレーテ・セネージと呼ばれる粘土質の丘陵地帯。その南は世界遺産ヴァル・ドルチャ渓谷だ。こうしたトスカーナで最も美しい丘陵地帯の道なき道をゆくのが「キウージ・キャンチャーノテルメ〜シエナ線」である。 フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅7時25分発のレジョナーレで2時間かけてのんびり一路南へと向かう。8.70ユーロ。 濃い霧が立ちこめるキウージ・キャンチャーノテルメ駅着は9時34分。駅のバールで熱いカプッチーノを飲み、10時40分発のシエナ行きに乗るつもりだったが、いつまで立っても掲示板に表示が現れない。さては間引かれたかと不安になって切符売り場で聞くと確かに10時40分発だという。5番線に行ってみるとミヌエットが止まっているのだが、やはり行く先表示は出ていない。通りがかった駅員に聞くと10時40分発シエナ行きだというので乗り込んで待つことにするが、あとから来るイタリア人がみな「これはシエナ行きですか?」と聞いてくる。こうしたところ表示が不親切なのはイタリア国鉄時代からの悪しき習慣だが、いつだか似たようなことがあった時、一緒に乗り合わせた婦人がこういった。「だから私たちが助け合わなければいけないのよね」。そのあたりイタリアの鉄道は運営する側も乗る側も実に人間的である。疑問があればすぐ口に出して隣の人に尋ねるし、それに答えるのもごく普通のこと。困っている人を無視するようなことない。女性が重い荷物を持っていれば網棚にあげるのは男の義務だし、例え出発時間が迫っていても、人の背中を押して電車に乗り込んだりは決してしない。鉄道員もちゃんと待っていてくれる。組織がルーズな分は個々の適応力で解決する、というイタリア社会の真実は列車内でこそ見て取れる。 例によってアナウンスもないまま扉は突然閉まり、シエナ行きミヌエットは定刻通り静かに動き出した。今日は3両編成、景色のいい路線を走る時ミヌエットにまさる車両はない。パノラマ・シート、自転車置き場、デジタル表示板、バリアフリーの洗面所、防犯カメラなどありとあらゆる最新機能が装備されており、あちこちにコンセントがあるのもいい。携帯やデジカメのバッテリーなどが座席で充電できるのは実に快適である。 列車はキアーナ渓谷の平野部を北上、ローカル線イタリア鉄道と交わるシナルンガを過ぎると突然霧が晴れ、左右にオリーヴ畑と緑の丘が広がった。自転車旅行の途中らしいサイクリストはそんな風景にカメラを向け、外国人カップルは車窓に釘付けになる。途中から乗ってきた老夫婦はパノラマシートを見て「おお、サッロッティーノ(サロンカー)だ」とつぶやいた。 11時25分アッシャーノ・モンテオリヴェートで途中下車する。アッシャーノはトスカーナの丘陵地帯にある古い集落。無人駅を離れて線路沿いに5分も歩くともうそこは見渡す限りのオリーヴ畑。枝を剪定中の老人に挨拶して敷地内を通らせてもらう。 土曜日の朝、町には小さな市が立っていた。洋服や靴を売る屋台からチーズやサラミなど食料品を売るトレーラーまで広場は人でにぎわう。町のバールで一休みするが、頼んだ赤ワインはマロラティック発酵など全く無関係な酸味が際立つ地ワインで、しかもおばさんがその場で生ハムとチーズを厚切りにして作ってくれたパニーノは巨大でしかも石のように固かった。 13時29分の列車で再びシエナに向かうが、ここからがこの路線のハイライト。アッシャーノの町を抜けて丘陵地帯に向かうと周囲に民家はおろか道路までも見えなくなり、ただひたすら緑の丘の間に引かれた鉄路を列車は走ってゆく。時折見える荒々しい岩肌と牧草茂る丘のコントラスト。青い空と丘の稜線の狭間にそびえる一本の糸杉。そうした魔法のような風景が続く夢のような時間である。13時52分シエナ着。キウージ・キャンチャーノテルメ5.20ユーロ。 カスティリオーネ・ドルチャ、モンタルチーノ、ピエンツァ、ラディコーファニ、サン・クイリコ・ドルチャといったアミアータ山周辺諸都市市は2004年7月に世界遺産に認定された。かつてそうした美しい緑の中を走っていたのがローカル線ヴァルドルチャ鉄道(www.ferrovieturistiche.it)だった。旧イタリア国鉄時代の1994年に規模縮小されたものの、現在は特別列車「トレーノ・ナトゥーラ」などマニア垂涎のSL特別列車が走る幻の路線となっている。SAPORITAをもっと見る
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