イタリア縦断鉄道の旅18 神殿の谷からタオルミーナへ

今から目指すのは東海岸にあるシチリア第二の街カターニア経由タオルミーナ。昨日来たルートをパレルモ方面に再び戻り、ロッカパルンバで乗り換える。

列車は定刻通りの6時55分に出発。旧車両のレジョナーレなので窓を下ろして神殿の谷を見下ろすと、谷はすっかり朝焼けに包まれ真っ赤に輝いていた。

わすか数人の乗客を乗せたレジョナーレはまだ太陽が上りきらないシチリア中央部の大地を北上してゆく。窓の外は一面の朝もや、7時59分に乗換駅ロッカバルンバに着く頃にはようやく太陽が高く上り始めた。

ロッカパルンバはただの乗り換え駅である。私以外の客はみな家族が車で迎えに来ていて、乗り継ぎ時間1時間少々ある私は駅に一人残された。外に出てみると駅前にあるのは数件の民家のみでバールもない。駅のトイレは壊れていて使えない。バスもなければもちろんタクシーもない。朝早くから田舎を鉄道で旅すると困るのはこういう時である。標高351メートルにある内陸の駅は寒く、待合室で時間をつぶすことにすると、暖房目当てに猫が一匹二匹と入って来た。

9時13分発カターニア行きの旧型車両のディーゼル式レジョナーレに乗り込んで今度はシチリア中央部を一路東へと向かう。四国の1.5倍ほどの大きさがある地中海最大の島シチリアはこうして鉄道で旅してみると意外に大きい。

シチリアに絶景ルートは幾つかあるが、このロッカパルンバ〜カターニア線はシチリア内陸部の荒々しさと美しさというコントラストを堪能するには最高のルートであろう。カルタニセッタを過ぎてしばらくすると右手に小高い岩山の上にへばりつく巨大戦艦のような街の姿が見えてくる。山上都市エンナである。

地殻が隆起してできあがったような山の上に立つエンナはシチリアの他の街同様ギリシャ起源の古い街で、県庁所在地としてはイタリアで最も高い標高931メートルに位置する。その異様な姿にしばし見とれていると、やがて左手にもエンナより規模は小さいものの、やはり似たような山上都市が見えてくる。標高691メートルのカラシベッタである。

エンナの駅で修道女が下りたのでぼおっと眺めているとやがてディーゼル・カーは再び動き出し、坂道を下り始めると左手前方に真っ白に輝く雪山が見えた。エトナ山である。

天気は快晴、カターニア方面に向かえばその美しい円錐形の姿がどこかで見えるとは思っていたが、まだまだ40キロはゆうにあるエンナからその美しい姿が見えるとは思いもしなかった。エンナを見ながらの車窓もまさに絶景だったが、エンナを過ぎてカターニアまでの1時間20分はエトナ山とともに過ごす列車の旅である。BGMはカターニア出身の音楽家ベッリーニを代表するオペラ「ノルマ」から「カスタ・ディーヴァ」。そして同じく「夢遊病の女」から「コメ・ペル・メ・セレーノ」へと変わる。

エトナ山麓南斜面はオレンジの一大産地であり、オレンジ畑の向こうに白い山、という光景は静岡辺りの風景よく似ていて、どこか郷愁を誘う。オレンジ畑が住宅地に変わり始めると終点のカターニアは近い。

やがてまたしても定刻通りの11時45分、カターニア中央駅に着く。シチリアの旅では列車が遅れることは日常茶飯事。以前メッシーナでパレルモ行き列車を待っている時なんと4時間遅れという事態に遭遇したことがあったがこれは滅多に出会えない例外中の例外としても、イタリアの旅、特に南イタリアでは常に時間に余裕を持って出かけたい。

50セント払って駅の有料トイレを使い、ホームに寝そべる野犬をまたいで乗り換え先のホームに急ぐ。向かうはシチリア東海岸市の景勝地タオルミーナだ。

12時18分発のレジョナーレはまたしてもミヌエット。結構混んでる車内でまたしてパノラマ・シートに座って発車を待つが、予定時刻を過ぎてもうんともすんとも動かない。しばらくすると車内後方から走ってくる機関士がひとり。運転席でしばらくがちゃがちゃやってると思ったらまた後方へと猛スピードで駆けていった。周囲のイタリア人を目を合わせて肩をすくめることしばし。するとミヌエットはあろうことか進行方向とは逆のシラクーサ方面に向かって動き出した。

「これはメッシーナ行きのはずでは?」と周囲のイタリア人とともに疑問を口にすると、居合わせた若いシチリア女性がクールにも「線路を切り替えてるのよ」と教えてくれた。すると列車は間もなく停車し、今度はメッシーナ、タオルミーナ方面へとするすると動き出した。今回のシチリアの旅で列車では初めて、20分の遅れである。

このルートでのBGMは誰がなんといおうがこれをおいて他にはない。エリック・セッラの「グラン・ブルー序曲」である。例の「アユート!!」をシチリアの地で聞くと未だに鳥肌、イタリア語でいうところの「ガチョウ肌」が立つ。

青く輝くイオニア海を眺めているとやがて列車はエトナ山と平行して内陸部を走り、再び青い海と小高い丘の上にそびえる街が見えたらもうタオルミーナだ。到着は18分遅れの13時30分。駅は海辺の街ジャルディーニ・ナクソスにあるので正式な駅名はタオルミーナ・ジャルディーニ・ナクソス。

この駅は駅舎もホームも世紀末アールデコ様式でできており、鉄と直線で囲まれたデザインがなんともレトロで美しい。ホームからも海が見えるし、駅舎の一歩外に出てみれば、ファサードは瀟酒な料理旅館かのよう。

今回の宿は標高204メートルにあるタオルミーナの街でなく、名勝として名高い小島イゾラ・ベッラの目の前にある海辺の小さなホテルにした。3つ星だけれど海に面したテラスからは真正面にイゾラ・ベッラが見え、眼下には海岸線を通ってタオルミーナ駅へ向かう線路が見える。

早速荷物を置いてホテルを出る。12月だというのに水辺で遊ぶ観光客の姿も見えるイゾラ・ベッラは自然保護区。線路沿いに長い石段を下りてゆくとやがて岸と砂の回廊でつながれた小島へと出る。その先を海岸通り沿いにしばらく進むとタオルミーナへと上ってゆくロープウェイがある。イタリア人の集団に相乗りしてロープウェイで山頂を目指すこと数分。終点からは徒歩になる。というのもタオルミーナ市街は自家用車の乗り入れが禁止されているのでタクシーで乗り付ける以外はバス停からもロープウェイの駅からも全て徒歩。

坂道を上ってメッシーナ門からタオルミーナ旧市街に入る。古い菓子屋の店先に並ぶのはフルッタ・マルトラーナやカッサータ、カンノーリといったシチリア伝統の郷土菓子。プーピと呼ばれる操り人形、ドン・コルレオーネと書かれたTシャツなどを売る店が並ぶ。シチリアで店のウインドウを眺めながら、何も気にせずぶらぶらと歩けるような街は実は貴重である。ブティック、土産物屋、カフェ、レストラン。シチリアでのハードな旅に疲れたらタオルミーナはまさに楽園。

目抜き通りのウンベルト大通りの古い床屋でひげそりを買って、4月9日広場の見晴し台まで行くと、200メートル下にはタオルミーナ・ジャルディーニ・ナクソス駅が見えた。

ホテルに帰ると白髪、背広姿のやせたオーナーのパタネ氏が「シニョーレ・イケダ、ご機嫌はいかがでしょうか?」と聞いてくるので最高に眺めのいい部屋です。と答える。痩身に白髪。ネクタイもきちんとしめて上半身はちゃんとしているのだが、パンツの太さがやはりシチリア人である。「そうでしょう、一番眺めの良い角部屋を用意いたしましたから」とのこと。聞くと冬期休業中だったところ急遽ホテルを開けてくれたのだ。シーズンオフのホテルにはどうやら泊まり客は私一人だけらしい。

夜はイゾラ・ベッラにある小さな家族経営のトラットリアで過ごした。ナスをあげてトマトソースのパスタとあえたスパゲッティ・アッラ・ノルマ。これはマッシモ・ベッリーニのオペラ「ノルマ」から名付けられた料理だが、そのいわれは誰かが「この美味しさはノルマ級だ」といったからだとか。シチリアらしい食材をつかったシンプル・イズ・ザ・ベストのカターニア料理だ。

パスタを口に運びながら翌日の予定をあれこれと考えていた。朝イチでエトナ周遊鉄道に乗るか、それともまずシラクーサまで行くか、カターニアの市場で昼飯を食べるか。電車の乗り継ぎ時間や荷物、ホテルとの距離、時間、天気予報、行きたい店、したいこと。そんなことをあれこれ考えているうち、旅先の夜はいつも更けてゆく。

ホテルに戻るとパタネ師が「食後酒でも一杯サービスしましょう、シニョーレ・イケダ」といってくれたのでお気に入りのイタリアのブランディ、ヴェッキア・ロマーニャをもらう。私が列車で旅する時、カバンに忍ばせているのはこのヴェッキア・ロマーニャかグラッパのポケット瓶である。なみなみついでくれたのだが、休業中だったからかグラスが恐ろしく汚れていたのには思わずひるんだ。それでもパタネ氏のにこにこした笑顔が憎めなくて、男気を見せブランディを飲み干した。