イタリア縦断鉄道の旅19エトナ山周遊鉄道

翌朝5時に起きてシャワーを浴び、まだ真っ暗なテラスに出ると、ちょうどイゾラ・ベッラの背後に朝日がのぼるところだった。イオニア海の朝焼けとシルエットのイゾラ・ベッラ。普段ならまず見ない朝焼けを、今回の鉄道の旅で一体何度目にしたことだろう。

ホテル前に6時54分に停まる路線バスでタオルミーナ・ジャルディーニ・ナクソス駅へ。7時55分発のカターニア行きレジョナーレに乗ろうと思っていたのだ が、先発の7時28分発が10分遅れでまだホームにいたので飛び乗る。遅れもこういう時には便利。向かうのはジャッレ・リポスト駅、エトナ山周遊鉄道=Circumetneaの始発駅である。

出発時間を過ぎ、車内で動き出すのを待っていると後ろから車内をばたばたと走ってくる音がする。振り返って見てみるとまたしても昨日の機関士。しかも服装も全く同じだ。寝ぼけたかと思って目をごしごしこすってみると、またしても後方に慌ただしく駆けていった。まるで「不思議の国のアリス」の世界である。

8 時8分ジャッレ・リポスト駅着。1.70ユーロ。駅のバールで朝のカプチーノとブリオッシュ。外に出ると駅前は例によってなんにもない。シチリアは鉄道駅を中心に街が発達したのではないことがまざまざと分かる光景だ。民家の脇をすり抜けたところがエトナ山周遊鉄道の始発駅なので左右を見渡しつつ線路を渡って切符売り場へ向かう。

駅舎の中は椅子といわず、壁といわず、耳なし法一の話を思わせるかのような落書きがびっしり。ここまでくればもはや落書きもアートである。たいていは「アレッサンドロ愛してる!!」とか「フランチェスカ、お前だけだ!!」とかそんな類い。エトナ山周遊鉄道は学生たちの生活路線である。

切符売り場で金網越しに「カターニアまで一枚」と告げるが、無愛想な窓口担当は返事もせずに奥にひっこみ、なにやらプ リンターをいじってごそごそしはじめた。それでもじっと待つこと数分。さすがにガラスを叩いて催促しようかと思ったが、やがて切符と一緒に持って来てくれたのはプリントアウトされた最新の時刻表と、エトナ山周遊鉄道の乗車記念カラー・パンフレットだった。

「はい、これが時刻表。ランダッツォで乗り換えるときはこれを参考にしてね。それとこれは乗車記念のパンフレット」と意外にも親切なのであった。人は外見だけで判断してはいけない。特に見知らぬ土地ではなおさらのことである。カターニアまで5.65ユーロ。

小さなホームで列車の到着を待っているのは同行の士らしきイタリア人中年男性。やはり時刻表とパンフレットをもらってにこにこしている。

果たして時間通りに駅に着いたのは意外にも奇麗な一両編成のディーゼル・カー。以前カターニア・ボルゴ駅でエトナ山周遊鉄道を待っていたら、やってきたのが 全面落書きだらけのアート・カーで全身脱力したことがあったが、今日のエトナ山周遊鉄道はやけに奇麗。で、早速乗り込む。窓はちゃんと開くしトイレもあるしで申し分ない。ディーゼル・カーは発車と同時にぐんぐん標高をあげてしばらく北上。タオルミーナの街やイオニア海が見えたと思ったら今度はエトナ山の北斜面を大きく迂回し、西へ向かう。ちょうど反時計回りにエトナ山を半周する形になるが、ここからはずっとエトナ山の大パノラマが広がり、最高の眺めが楽しめる。天気は快晴、エトナ山の山頂には雲一つなく、うっすら煙を吐くのが見える。

気付くと怪しげな3人組がなにやらごそごそはじめたのでのぞいて見ると、これからカターニアに売りにいくのか、海賊版のCDを並べていた。ロック、イタリア民謡、クラシックとなんでもあり。よく見るとそのうち1人は車掌で、一枚一枚手にとっては眺めていた。

こ の列車は途中駅ランダッツォ止まりなので、ここでカターニア行き始発に乗り換える。この駅には、年代、型、色などごちゃまぜでディーゼルカーが並んでいる。どれがカターニア行きなのか分からずきょろきょろしているとやがてホームにいた駅員が一斉に「あっち、あっち」と乗るべき列車を指差してくれた。

ここからの眺めは生涯忘れることのできない光景だった。列車はエトナ山から吹き出した火山岩地帯の中を行く。月面をゆく感覚とはまさにこういうことなのだろう。車窓には巨大な岩石がせまり、単線である線路はくねくねとそうした岩石の間を縫う。時折のぞく白銀のエトナ山と線路沿いに生えるのは巨大なサボテン。 この路線を旅する時、窓を開けるのは要注意である。こんな巨大サボテンが顔にあたったりしたら、なんて想像するのも恐ろしい。

生と死の強 烈 なコントラストがシチリアの特徴だとしたら、このエトナ山周遊鉄道はまさにその凝縮形であろう。しばらくすると周囲には白骨のような樹木があらわれはじめ た。ブロンテ名物ピスタチオの森である。エトナ山西斜面にあるブロンテのピスタチオは紫色の薄皮に包まれた美しいエメラルド色の果肉が特徴で、シチリア第 一級の特産品である。

やがてぽつぽつと住宅が見えるはじめると終点のカターニアは近い。最もスペクタクルなエトナ山北西斜面に別れを告 げ、 ディーゼルカーは再び街へと戻ってゆく。終点のカターニア・ボルゴ駅到着はまたしても定刻通りの12時05分。今回のシチリアの旅では意外にも正確な運行に正直驚いている。

エトナ山周遊鉄道の切符は市営地下鉄に乗り継ぎができるので、地下のホームから地下鉄に乗り、カターニア中央駅へ向か う。カターニアの市場にあるトラットリアに行こうか、とも思っていたのだが、イオニア海とカターニア港が見えるホームに着いた時、あまりの天気のよさに考えを変えてシラクーサへ向かうことにする。

12時30分発のシラクーサ行きレジョナーレはまたしてもディーゼル・カー。オレンジの一大産地であるレトヤンニを過ぎ、巨大なコンビナートや造船所がある港町アウグスタが見えたらシラクーサはもうすぐ。

14時05分、またしても定刻通りシラクーサに到着。4.80ユーロ。しかしこれまでの3日間、シチリアで列車を乗り続けて車掌の姿は毎日何度も見ているのに、一度も検札してくれない。

シラクーサもまたギリシャ起源の古都である。古代ローマ時代にはアルキメデスが暮らし、海辺にあるというのに真水がわくアレトゥーザの泉には、古代と変わらずパピルスが生い茂っている。2005年には世界遺産に登録された

シラクーサはこれまでにも何度か来たことがあるが、来るたびに修復が進み、街が奇麗になってゆくのに驚かされる。海辺のホテルもリニューアルを終えたし、観光客の数も常に増えている。昔入ったキッチュなレストランも相変わらずまだ営業している。とあるパラッツォの中庭では猫が群れており、食べ物をせがんでくる。ドゥオモ広場を観光用の馬車が行き過ぎ、人々は午後の散歩を楽しむシラクーサの幸せな午後。

駅に戻るとやけにホームが混雑しているので見るとトリノ行きの夜行列車が出発するところだった。大きな荷物を抱えたシチリア人が2等寝台車クチェッテに乗り込もうとしている。北へ向かう列車の始発駅であるシラクーサでは毎日こんな光景が繰り返されているのだろう。

17 時05分発のメッシーナ行きレジョナーレに乗り込み、日が暮れた海岸線を再び北へ向かう。タオルミーナ・ジャルディーニ・ナクソス駅着は定刻より10分遅 れの19時15分着く。6.50ユーロ。ホテルに戻るとまたしてもパタネ氏が「おお、シニョーレ・イケダ、お帰りなさい!! エトナ山周遊鉄道はいかがでした?実は私まだ乗ったことがないんです」と話をせがんで来たので、じゃ夕食前にその話でも、とバールのカウンターに二人で腰掛けた。

翌朝早くホテルを出てエトナ山の朝焼けを見に行った。カポ・タオルミーナからはエトナ山の勇姿が正面にくっきり見え、暗い海にもかかわらずもう漁船が出ている。雪を抱いた山頂には雲一つなく、朝日がイオニア海のむこうに上るとエトナ山は徐々にピンク色に染まり出した。30分も続かない、冬のシチリアを訪れたら是非とも見ておきたい、生涯心に残る一大スペクタクルである。

シチリアを訪れるなら飛行機よりもメッシーナ海 峡を列車で渡るのがいい。最短部で約3キロ、本土側のレッジョ・ディ・カラブリアとシチリアの玄関口メッシーナを結ぶ交通の要所。シチリアへ向かう列車はヴィッラ・サン・ジョヴァンニ駅で切り離された後、フェリーに積み込まれる。その間作業時間わずか十数分。世界でもメッシーナ海峡でしか見られない珍しい光景である。乗船作業が済んだらデッキに上がることもできるし、船内のバールでは名物のアランチーノも売っている。ローマから6時間かけて南下し、メッ シーナの港にゆっくり近づくいてゆくのを見ながらシチリアに上陸するのは、また格別の気分。つくづく遠くにやって来た、とその距離感を体感することができ る。

最新のメッシーナ海峡大橋建設計画によれば2008年着工、2015年完成予定だったが、現在のプロディ政権となった2006年中止が発表された。しかしメッシーナ海峡に端をかける計画は1800年代から何度も繰り返されては頓挫して来た歴史ある難所。またいつかは建設計画が行きを吹き返すことだろうが、それまではまだしばらくフェリーでの旅が楽しめそうである。それがローマ発の夜行列車トレーノ・ノッテの最高級個室寝台エクセルシオールならばいうことない。

メッシーナに上陸した列車は、今度はパレルモ方面行きとシラクーサ方面行きに分かれる。タオルミーナ経由で南へ向かうのももちろんいいが、パレルモを目指し一路西へ向かうのもいい。以前メッシーナ中央駅からトリノ発の急行エスプレッソに乗ってパレルモに行ったことがあるが、天気がよければミラッツォあたりからはエオリエ諸島が見える。奇麗な円錐形の島はヴルカーノ島。その背後の大きな島はリーパリ島。この路線に最 適なBGMは映画「イル・ポスティーノ」のテーマだろう。俳優兼映画監督マッシモ・トロイージの遺作となったこの作品は車窓から見えるサリーナ島で撮影さ れ、その舞台となった家を見に行ったことがある。映画監督タヴィアーニ兄弟も島に家があり、ナンニ・モレッティの「親愛な日記」にも登場した映画にゆかりのある島である。

険しい山肌が見えたらもうすぐチェファルー。ここは映画「ニューシネマ・パラダイス」でトトとアルフレードの別れのシー ンが撮影された駅。俺たちのことは忘れろ、もう二度とこの街には帰ってくるな。美しすぎるラストシーンに重なる「ニューシネマ・パラダイス・愛のテーマ」。 ああ、思わず目頭を押さえずにはいられない。私のシチリア列車の旅はいつもこんな具合である。

※データは2007年10月当時のものです。