イタリアの老舗料理店00はじめに(無料公開)

イタリアを旅すると、どこの街にも必ずある「老舗料理店」というキーワードに惹き付けられ、無性にその扉を開けてみたくなってしまう旅人は、きっと私だけではないことと思う。風雪に耐え抜き、頑なまでに伝統の味を守り抜き、装飾も創業当初のまま。一朝一夕には作れない時間の堆積が醸し出す、時の流れがとまったかのような空気感。

そんな古い店の片隅に座り、なんとも昔風の郷土料理を食べながら過ごす一夜は何ものにも代え難い貴重なひとときである。

どうも昨今のイタリア料理の二極分化はますます進む傾向にあるように思える。伝統か革新か、老舗か新進か、郷土料理かクリエィティヴか。クリエイティヴと一口でいっても新イタリア料理から、再認識料理、あるいはさらに過激な分子料理と、より多く星を掴もうとする店のスタイルはさまざま。食のグローバリゼーションはさらに加速し、もはや後に戻ることはできない。

老舗を巡る旅とは、実は現在私たちがフィレンツェや東京、ニューヨークで目にし、口にするイタリア料理の過去を訪ねる旅である。

イタリアが統一された十九世紀後半以降、今日社会が成熟するまでの百五十年あまりはイタリアにとっても二度の世界大戦を経た激動の時代。そんな困難な時代でも町の人々が集い、飲み、食べ、語らい、そして今も日常的にそんな光景が繰り返される老舗料理店には古き良きイタリア料理が残っている。

口うるさい人々は当のイタリア人でさえそんな店を「時代遅れ」とか「ピークは過ぎた」というが、しばし時代遅れの空間に身を置いて昔風の料理を口にするのは決して悪くない。故きを温ねて新しきを知る、温故知新のイタリア料理。老舗を巡る旅の唯一無二の目的はそこにある。

本書では二十件の老舗を取材している。高級リストランテから市場脇のトラットリア、立ち飲み居酒屋から農家の食卓までそのジャンルはさまざま。基本的に交通の便を考え、ミラノからローマまでの北中部イタリアの都市部中心のセレクトしてある。次回のイタリア旅行の際にレストラン・ガイドとして使うこともできるし、訳あって日本を離れられないアームチェアー・トラベラーは頁を繰りつつ遠いイタリアの町に心だけ飛ばすこともできる。そんな使い方をしていただければ著者としては無上の喜びである。

さて、それではいよいよ老舗巡りの旅に出るとしよう。知らない町の古い店、そこにはきっと新しい出会いが待っているはずだから。

本書に頻繁に登場する料理用語解説

アンティパスト=前菜

プリモ=プリモ・ピアット。パスタ、スープなどの第一の皿。

セコンド=セコンド・ピアット。魚、肉などのメイン料理、第二の皿。

コントルノ=つけあわせ

ドルチェ=デザート

サルサ=ソース

ラグー=ミートソース

スーゴ=ソース、肉汁

ブロード=野菜や肉、魚などでとったスープ

ズッパ=スープ

カメリエーレ=給仕

エノテカ=酒屋

カンティーナ=酒蔵

オステリア、トラットリア、リストランテ=いずれもレストランの分類だが、それぞれ居酒屋、カジュアル・レストラン、本格的レストランなどと訳される。