イタリアの老舗料理店04 デル・カンビオ創業1757年

トリノの旧市街にカルロ・エマヌエーレ二世という名の広場がある。冬の夜には現代アーティストによる照明が灯り、なんとも暖かい気分にさせてくれる広場だが、その中央に統一イタリア初代首相エミリオ・ベンソ・カヴールの像が立っている。皇帝アウグストゥスのように長いトーガをまとった凛々しい姿はまるで神格化されているようで、トリノを統一イタリア最初の首都へと導いた敏腕政治家に捧げたトリノ市民の熱い思いを感じずはいられない。統一直後の一八六一年六月六日にこの世を去ったカヴールは、まぎれもない十九世紀末のイタリアにおける主役の一人である。統一の求心力となったサヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエーレ二世を奉じて初代イタリア国王とし、軍事を持って統一に殉じたガリバルディ将軍がイタリアの剣ならば、ロビー活動と外交能力で列強を退けたカヴールはイタリアが誇る頭脳であった。

その頃統一議会が置かれていたのがカリニャーノ宮殿。現在はイタリア統一博物館となっており、イタリアの歴史を知る上で貴重な資料が展示されている。館内を見て歩くとよく分かるのだが、展示されているカヴールの肖像画、風刺画はどれも一様に丸顔でお腹がぽっちゃりした幼児体型で描かれていることが多い。痩せた鷲を思わせるガリバルディとは対照的。というのもカヴールは政治はもちろんのこと、食に関しても相当のこだわりを持つグルマンであり、その結果このような貫禄ある体型となったようである。一八五九年の四月二十六日、オーストリアからの最後通牒を拒絶し、戦争突入が決まった後にカヴールはこういった。

「諸君、我々は本日歴史を作った。さぁ、食事にいこうではないか」

カヴール御用達のレストランといえばカリニャーノ宮殿前にある、創業一七五七年の老舗「デル・カンビオ」である。「デル・カンビオ」のロココ調のダイニングにはイタリアの三色旗で飾られたカヴール専用席が今も残されており、その席からはガラス窓を通して正面にカリニャーノ宮殿が見える。というのも、食事中のカヴールを必要とする緊急時には宮殿の窓から合図が送られ、それを見るや否やカヴールは食事を中断し、非常口から慌てて飛び出し宮殿へ戻って行ったという。

今、手元に「Il Ristorante Del Cambio」という二〇〇〇年に出版された豪華本がある。それによると「デル・カンビオ」が誕生したのは隣接するカリニャーノ劇場脇が改修工事をした一七五七年に劇場併設のカフェとして誕生した。英語の「チェンジ」という意味を持つその名の由来は貴族が馬を変える場所だったから、という説もあるが、後のフランス統治時代この広場が「株式広場」と呼ばれたようなり株式仲買人や両替商らの本拠地となったことからこの名がついたとされる説が現在は有力である。しかし一七八六年の火災で「デル・カンビオ」は劇場とともに消失。現在の「デル・カンビオ」はその火災直後十八世紀後半の建築様式で再建されたものである。

フランス支配時代になるとトリノにはカフェが多く誕生し始め、その装いを変え始める。「デル・カンビオ」にはトリノで最初にガス灯が灯り、一八五一年にカフェ・レストランへと変貌を遂げる。その後イタリア統一運動の隆盛とともに多くの王族、貴族、政治家がこの店を訪れるようになり、その名声は揺るがないものとなる。歴史ある店には避けられないことだが「デル・カンビオ」も多くのオーナーの手から手へと渡り、紆余曲折を繰り返して今日まで存在し続けている。ファシズム時代の一九三四年に「デル・カンビオ」のオーナーとなったのはルイジ・カペッリーノ。彼は第一次大戦直後から「デル・カンビオ」でカメリエーレとして働き始めた苦労人であり、当時の資料によればトリノ一の有名人であった。

一九六四年にルイジ・カペッリーノが亡くなると経営はその妻アンナと、ミケーレ・パランデロに受け継がれるが、このミケーレ・パランデロも一九三八年からカメリエーレとして働いていたというからキャリアはルイジ・カペッリーノと全く一緒。「デル・カンビオ」を最も良く知る者が経営を受け継ぐのが伝統だったのである。後にアンナは全ての経営権をミケーレ・パランデロに譲るが彼も間もなく高齢となり、一九七三年に「デル・カンビオ」は酒造業者チンザノ社に売却される。一九八一年にはアマート・ラモンデッティがオーナーとなるが、彼の母方の祖父は一九一二年から一九三三年までオーナーだったアマート・スカヴァルダ。半世紀を経て「デル・カンビオ」の経営は、孫の手に帰ってきたことになる。後にアマート・ラモンデッティは一九九一年に「チューリン・ホテルズ・インターナショナル」を設立。ミラノの「サヴィーニ」のオーナーでもある。

ある日の午餐はこんな具合に始まった。大理石のカフェテーブルが並ぶバースペースはかつてのカフェ時代の名残をとどめているが、左手のダイニングルームへと進むと時計の針はさらに逆進、十八世紀ロココへと変転する。大きな鏡と金の装飾、ルイ王朝と関係が深かったトリノの王宮の鏡の回廊を思わせる豪華な空間が待っている。この日の昼食は地元産の旬のキノコをトマトと軽く蒸し焼きにしたアミューズで始まり、アルプスの裾野アオスタ州の土着品種であるエルバ・ルーチェという白ぶどうで作ったスプマンテをあわせる。

パスタは二種類。牛、子牛、豚、七面鳥と四種類のロースト肉を詰めた手打ちパスタ、「アニョロッティ・プリン」。そして稀少品種である地元産カルマニョーラ兎を使ったラグーはニョッキで食べる。軽やかにして典雅、繊細にして骨太。ワインはネッビーロ・ダルバ。サーブしてくれるのは現支配人のサッコ氏はじめ年期を感じさせてくれるベテラン・カメリエーレたち。老舗の継承者たちである。

セコンドはトリノに来たら決して食べずに帰れない、新鮮なピエモンテ牛を丁寧に包丁で叩いた「カルネ・クルーダ」。そして同じくトリノ伝統の味、牛頬肉を長時間バローロで煮込んだ「ブラザート・ディ・マンツォ」。ワインは「ソリ・パイティン」のバルバレスコ一九九九となり、思えばプリモ、セコンドと四品とも全て肉料理ながらあくまで軽く、ピエモンテ料理の神髄をあらゆる角度から味わい尽くしたひととき。ロココの部屋に瞬く間に時が流れた一時間半であった。

店内には十九世紀末のメニューが今も飾られているが、基本的にその頃から「デル・カンビオ」のメニューは変わっていない。定番伝統料理であるアニョロッティ、ブラザート、そして毎週木曜日の昼の名物は「ボッリート」である。これはトリノの冬の伝統料理で牛タンや豚足などさまざまな部位を使った茹で肉料理だが、「デル・カンビオ」の場合は「グラン・ボッリート・ミスト」と呼ばれていて内容はこんな感じである。若鶏、テスティーナと呼ばれる牛の頭肉の腸詰め、牛タン、牛の尾、「僧侶の帽子」と呼ばれる若牛の肩肉、若牛の胸肉、牛すね肉、豚の鼻などの詰め物「コテキーノ」。これをイタリアン・パセリとオイルとベースに作った「サルサ・ヴェルデ」、芥子を効かせた果物のシロップ漬け「モスタルダ」など七種のソースと六種類の野菜のつけ合わせで食べる。正真正銘本格派のボッリートである。「デル・カンビオ」の木曜日の午餐の夢は未だかなっていないが、優雅なワゴンサービスで切り分けてくれる熱々のボッリートは、トリノの冬の無上の喜びかと思う。

デル・カンビオDel Cambio(トリノ)
Piazza Carignano,2 TORINO
Tel011-546690 www.thi.it
12:00〜14:30、20:00〜22:30日曜休 要予約