イタリアの老舗料理店07 トラットリア・カ・ドーロ“アッラ・ヴェドーヴァ”創業1890年

ペスケリア市場からカナル・グランデを挟んだ対岸、カ・ドーロへと渡るにはゴンドラの渡し船「トラゲット」がいい。カナル・グランデにかかる3つの橋のひとつ、リアルト橋を渡るのはあまりに遠回りなので、朝市に買い物に来る地元の人々はみなこのトラゲットを利用している。すると昼前に買い物客でにぎわう時間帯は満員になることもままあり、そうなると地元の人は市場で買い込んだ野菜やら魚やらを詰めたビニール袋を両手に下げたままゴンドラ上に立つ。ちょうど混雑のバスのような状態。

そんな満員時はこちらもやむなく立ちあがるのだが、いくら波が小さく、ゴンドラ漕ぎが上手だといっても慣れない旅人にとってゴンドラの上に立つのはバランスをとるのが非常に難しい。なにせ板一枚下は海。小さな揺れにあわせて足を踏ん張っていると、わずか二分足らずの時間なのに着く頃にはふくらはぎがぱんぱんに張ってくる。一方ヴェネツィアの人々はお年寄りも子供も全然平気。ヴェネツィアの人々が海洋民族だなぁと改めて思うのはこんな時である。

先日「アッラ・ヴェドーヴァ」に行こうととペスケリア市場からトラゲットに乗った朝、ヴェネツィアには珍しく激しい雪が降っていた。コートの襟を立てて降りしきる雪に耐えつつ、またしてもゴンドラ上で踏ん張る。寒、雪、波の三重苦。ようやく対岸カ・ドーロの船着き場に着くや否や最寄りのバールに飛び込み、ヴェネツィアの冬の朝の定番である熱々カフェ・ラッテとグラッパを頼む。「ボッレンテで」と頼んだカフェ・ラッテはカップが持てないほどに熱い。そこにグラッパを少量注ぎ、冷ましつつ飲む。これは嗜好品でなく、冬の朝の必需品である。外にはまだ雪が降り続いている。

「黄金の家」という意味のカ・ドーロは十五世紀に作られたゴシック様式の建物で当時ファサードが金箔で覆われていたためこの名がついた。現在は貴重なヴェネツィアの美術品が収められた美術館となっている。そのカ・ドーロのすぐ近く、細い路地の突き当たりにあるのが「トラットリア・カ・ドーロ」。正面にある古い大理石の看板にはその店名が刻まれているが、右手の看板には、縦書きで「アッラ・ヴェドーヴァ」と描かれている。「ヴェドーヴァ」とは「寡婦」という意味だが、この店を「トラットリア・カ・ドーロ」と呼ぶ者は誰もなく、みなが「アッラ・ヴェドーヴァ」と呼ぶ。それは現在のオーナー、ロレンツォとミレッラ兄妹の母、ロケーレのことであった

「カ・ドーロ」の創業は一八九〇年。南イタリアのブリンディジからヴェネツィアに出てきたロケーレの祖父がワインを売る酒屋、エノテカを開いたのがその始まりだった。当時売っていたのは主に出身地のプーリア州はじめ南イタリア産のワイン。ヴェネツィアでは「ヴィーノ・フォレスト」つまり「異郷のワイン」と呼ばれていた南イタリアのワインは、ヴェネツィア男の大好きな「オンブラ」をするにはなくてはならない安くて良質なワインだった。

ヴェネツィアのバーカロでよく耳にするのが「オンブラ」。これは「影」という意味だが、昔サン・マルコ広場に出ていたワイン屋台が、日向でワインが温まるのを避けるため、常に鐘楼の影の下で営業していたことに由来する。「オンブラする」、「オンブラ下さい」などの使い方で、バーカロのハウスワインとそれを立ち飲みすることをさす。ヴェネツィアの華である。やがて息子エンリコの代になるとエノテカは「オンブラ」をはじめ、簡単なつまみを出すようになるが、当時は食べ物持ち込みで酒だけ飲みにくる男性も多かったという。年老いたエンリコが店を売ることに決めた時、あらわれたのがマリオというヴェネツィア男性。まもなく当時ピアニストだったロケーレと知り合い、なんと二人は結婚することになる。期せずして「トラットリア・カ・ドーロ」は再び創業者の家族を店に迎えたのである。

以来、店のスタイルはロケーレがこの世を去った今も当時と変わらない。入り口左手にはオンブラ用のカウンターがあり、ガラスのショーケースにはできたての大皿チケーティが厨房からどんどん運ばれてくる。扉を開けて入ってくるヴェネツィア男性が一人、また一人、オンブラを頼み、チケーティをひとつつまみ、知り合いと一通り話をすると店を去り、また次のバーカロへと向かう。優雅なヴェネツィア男たちの社交である。マリオが亡くなった後、ロケーレはロレンツォやミレッラとともに「トラットリア・カ・ドーロ」を引き継ぎ、まもなく店は「寡婦=アッラ・ヴェドーヴァ」と呼ばれるようになる。これはジョヴァンナが一九八九年に亡くなった後も変わらない。黄金期の「アッラ・ヴェドーヴァ」をロケーレとともに支えたのが、四十年間厨房を守った伝説の女性料理人アーダ・カット。メストレ近郊で生まれたアーダはヴェネツィア伝統料理の継承者として内外にその名を広め、ロケーレとともに「アッラ・ヴェドーヴァ」の顔となる。引退した後もアーダのレシピはそのまま「アッラ・ヴェドーヴァ」の厨房で後継者たちが守り続けており、アーダの味を求めてやまない常連客たちの肥えた舌を日々満足させ続けている。

肩の雪を払って「アッラ・ヴェドーヴァ」のガラス戸を押し、オンブラ客が連なるカウンターを抜けて奥のテーブルに着く。ロケーレの時代と全く同じに修復された店内には、古いながらもすみずみまで手入れが行き届いたなんともいえないいい空気が漂っている。間もなく眼鏡の店主ロレンツォがカラフに入った白のハウスワインとチケーティを持ってきてくれた。バーカロの定番である揚げミートボール、ポルペッティ、ヴェネツィア風にいうならフォルペーティ。白ポレンタの上にバッカラを乗せたもの。タコやイカ、アサリなど海の幸を上質なオリーブオイルであえた温かい前菜。

昨夜もこの席でイカスミのスパゲッティと魚介類のフリット・ミストを食べたことを覚えていたロレンツォが「今日はスパゲッティ・ブサーラ」を試してみろ、という。スカンピ入りのトマトソースにぴりりと唐辛子が効いたこのパスタはクロアチアのダルマツィア地方がオリジナルといわれるヴェネツィア郷土料理。スカンピのコクと唐辛子のパンチは一度食べれば病み付きになるはず。しかしイカスミのスパゲッティもやはりも捨てがたく、ミレッラに頼んで2種盛り、「ビス」にしてもらう。アーダのレシピによるスパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレも「アッラ・ヴェドーヴァ」ならではの味である。しあげにオイルをたっぷり使ってアサリの出汁を乳状化させ、細めのスパゲッティーニと食べる。アサリの殻を剥くのももどかしく、早く熱々の麵を口に運びたくなる。そんな魅力あるパスタである。

セコンドで食べるならやはり定番の魚介のフリット。新鮮で歯ごたえしっかりしたカラマリや小振りで殻ごと食べられるスカンピ、小さな平目、ヒメジ、小魚などなど。白のハウスワインを飲みながらこうした揚げたてのフリットをつまむのは、冬のヴェネツィアの無上の喜びである。とかくヴェネツィアは行き当たりばったりで店を選ぶと、ことごとく期待を裏切る料理に出会う確率が非常に高い街だが、一度定番ヴェネツィア料理を試してみたい場合はこの「アッラ・ヴェドーヴァ」を勧めたい。素材を生かしたごくごくシンプルな料理だけれど、そうしたシンプルな料理が生き残ってきたのにはワケがある。それを体感するには一にも二にも実際に店に足を運んで、料理を口にすることである。カウンターでブラーノ島のビスコッティ「ブッソラ」、ヴェネツィア風にいうなら「ブッソラーイ」をつまみ、きりりと冷えたグラッパを飲み干して店をでる。店の外はまだまだ雪が降りしきる。こんな日にサン・マルコ広場の鐘楼に上れば、さぞかし美しいヴェネツィアの姿をこの目に焼き付けておくことができるはずだ。

トラットリア・カ・ドーロ“アッラ・ヴェドーヴァ”
Trattoria Ca’ d’Oro “Alla Vedova”(ヴェネツィア)
Cannaregio 3912,VENEZIA
Tel041-5285324 
12:00〜14:30、19:00〜22:00木曜、月曜昼休