イタリアの老舗料理店08 アンティカ・トラットリア・ポステ・ヴェーチェ 1500年創業

ヴェネツィア旧市街からリアルト橋を渡り、しばらく歩くと今も現役の威勢のいい魚市場に出る。石造りのロッジャと呼ばれるアーケードの下には、アドリア海の幸を美しく並べた屋台がずらり。市場の端はカナル・グランデに面していて、とれたての魚がどんどん船で運ばれてくる。残念なことにヴェネツィアのレストランでは冷凍した魚介類を使う店も多いけれど、この市場を歩いて回るとヴェネツィア湾の豊穣さが手に取るようによく分かる。スミイカ、シャコ、クモガニ、イワシ、サバ、スズキ、ボラ。アンコウを売る店もあれば帆立貝を売る店もある。こうした店をひとつひとつのぞいては季節の旬を自分の目で確かめておくことは一種のイメージトレーニングである。そうすればレストランのショーケースを眺めた時に、どの魚がこの時期一番いいのかなんとなくでも考えるようになり、たとえ難解ではあってもイタリア語のメニューを読解してゆくうち素材名、料理名など、文字の裏に隠された意味、行間を読む楽しさが自然と身に付いてくる。そうなればイタリアでのレストラン巡りはさらに楽しくなる。

ヴェネツィアの市場を見た後は当然バーカロで一杯、ということになるがこのペスケリア市場周辺には実にいいバーカロが密集している。「ド.モーリ」はもちろん、市場脇の広場に面した「ダ・ピント」。さらに路地に入れば「ド・スパーデ」、「アッラルコ」。中には最近できたワインバー風バーカロもあるが、「ディアヴォロ・エ・アックアサンタ」までたどりつくことができれば幸運である。いつも混雑した店内の一角にはガラスのショーケースがあり、スミイカやポルペッティーネなどどれもひかれるチケーティが所狭しと並んでいる。これをひとつもらい、ワインを一杯。一休み中のゴンドラ乗り「ゴンドリエレ」たちと肩を並べてワインを飲むひとときは、迷宮の街を一時間歩くのにも匹敵する濃密な時間である。

しかし、灯台下暗し。古いヴェネツィアの魅力はまさに市場脇にあった。よく見ると魚屋が並ぶ回廊の背後には小さな運河が流れ、橋が掛かっている。この古い木造の橋は創業一五〇〇年の老舗「ポステ・ヴェチェ」への入り口である。初めて「ポステ・ヴェチエ」に来たのはもう十年ほど前のことになる。ヴェネツィアに詳しい知人に連れられて初めて市場の橋を渡り、店内に案内されると暖炉に火がともるいかにも古めかしい内装に目を奪われた。クモガニやカルパッチョを食べたのは覚えているが、それが一体どんな味でどんな話をしたのか全く記憶にない。おそらくは歴史と時間が堆積した暖炉やら壁やらあちこちを眺め回すのに精一杯で、それ以外に何も心に残らなかったのだと思う。今、それ以来十年ぶりに「ポステ・ヴェチェ」へと続く橋を渡ろうとしている。

「ポステ・ヴェチェ」の創業はなんと一五〇〇年。創業当初はヴェネツィア風オステリアであったが、同時に郵便業務を請け負う郵便局の役割をも兼ねていた。というのもこのオステリアはヴェネツィア共和国の郵便配達員が集まる集いの場であり、トレヴィーゾやベッルーノいった本土側から来た配達人が羽を休めに立ち寄る場でもあったからだ。やがてこのオステリアは情報交換の場は商品交換の場となり、ヴェネツィアの商業において重要な拠点となる。店名の「ポステ・ヴェチェ」とはヴェネツィア弁で「古い郵便局」という意味である。魚市場は千年頃には存在していたというからすでに「ポステ・ヴェチェ」付近はヴェネツィア商業の中心地に位置し、つねに人が行き交う賑やかな場所であった。

一七〇〇年代末になるとオステリアは会員制の倶楽部となる。この会員制の倶楽部に通ったのは当時のヴェネツィアの芸術家や名士たち。そうした常連客たちの足跡は今も店内のあちこちに残されている。画家たちの名を幾つか挙げるとするならセイベッツィ、ベルガミニ、スカンパクローチェなど。中でもケルビーニというヴェネツィアの画家は特に「ポステ・ヴェチェ」を愛したことで知られている。橋を渡って店に足を踏み入れると向かって右手がジャルディーノと呼ばれる、半戸外風のサンルーム。左手には二部屋あって手前の第一室には一五〇〇年代の暖炉が置かれ、当時郵便局だったことを示す古い郵便や伝票が額装されている。その天井付近の壁を飾るのは、そうした画家たち描いた「ポステ・ヴェチェ」の常連たちや魚屋たちの肖像画であり、ケルビーニが描いた官能的な七つの大罪の壁画である。会員のみが集うのを許された美食倶楽部に「邪淫」「怠惰」「貪食」などの大罪をテーマに絵を描くというのはなんとも退廃的な世紀末ヴェネツィアらしいエピソードである。こうした絵は今も状態よく保存されているので、ヴェネツィアを訪れたなら一見する価値は十二分にある。

一九〇〇年代になると誰もが入れるトラットリアとなるが、二十世紀の「ポステ・ヴェチェ」の名声を作り上げたのは、一九八六年までオーナー・シェフを勤めたフルヴィオ・ボッツォの時代である。祖父の代から「ポステ・ヴェチェ」のオーナーだったボッツォ家はフルヴィオが料理人として天賦の才を発揮するようになるころ全盛期を迎える。第二次世界大戦の間イタリア軍で調理を専門にしていたフルヴィオは戦後ヴェネツィアに戻り、店を手伝いはじめる。その妻エディがサービスを担当し、フルヴィオはその風貌が一八世紀のヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴルドーニに似ていたせいか、フェニーチェ劇場関係者や文化人が「ポステ・ヴェチェ」を数多く訪れるようになる。フルヴィオはその厳しい審美眼で毎朝隣の市場で新鮮な魚のみを一瞬にして見抜き、必要最低限の調理でアドリア海の幸を客に提供する。今でこそ素材本来の持ち味を引き出すという現代イタリア料理の主流となっている考え方だが、その当時はまだ革新にして冒険であった。

名物料理はイワシの南蛮漬け「サルデ・イン・サオール」、「イカスミのリゾット」、数々の創作的なアンティパスト。「ブラーノ島風の鶏」という肉料理も名高く、客はほとんどがフルヴィオにおまかせ状態だったという「ポステ・ヴェチェ」五百年の歴史の中で、最も輝かしい時代であった。後継者のなかったフルヴィオは一九八六年に店を他人の手にゆだねて引退。現在のオーナー、アブルッツォ州出身のミンモの手に渡ったのは一九九六年のことである。このミンモは努力の人である。代々移民の家庭でヴェネツィアに出てきて以来レストランひとすじ、一九七八年にははじめての自分の店「トラットリア・ダ・ミンモ」を開業。長男ファビオとともにフェニーチェ劇場脇のレストラン「タベルナ・ラ・フェニーチェ」を経営していたこともあったが一九九六年のフェニーチェ劇場消失とともに店を手放し、同年「ポスト・ヴェーチェ」のオーナーとなる。

現在五七才のミンモをファビオとディエゴ2人の息子が手伝い、厨房は「タベルナ・ラ・フェニーチェ」以来のスタッフが受け持つ。肝心の今の「ポステ・ヴェチェ」の料理はというと今も正統派ヴェネツィア料理なことは確かだが、フルヴィオが毎朝市場に足を運んでいた黄金時代と比べるのは意味がないことかもしれない。ポレンタは練りたてで柔らかくほんのり甘く、「スキエッティ」と呼ばれる小エビが旬の時期はポレンタと一緒に食べさせてくれる。スタッフもみな恭しく、しかし人懐っこくもあり老舗が持つ堅苦しさを感じさせない。しかし・・・。老舗の風格というのは一朝一夕では作れない無限の努力と時間の堆積である。努力の人ミンモがフルヴィオに比肩しうる存在となるには、もう数十年ばかりあたたかく様子を見守ることが必要なのではないだろうか。暖炉脇の席に座り、ケルビーニの絵を日がな眺めていたくなる店であることは確かなのだから。

アンティカ・トラットリア・ポステ・ヴェーチェ
Antica Trattoria Posete Vecie(ヴェネツィア)
Pescheria,S.Polo1608,VENEZIA
Tel041-721822 www.postevecie.com
12:00〜15:00、19:00〜22:30 火曜休 夜は要予約