イタリアの老舗料理店10 アンティコ・リストランテ・ベッケリエ創業1875年

四方を堀に囲まれたトレヴィーゾは豊かな水の町である。ボッテニーガ川とシーレ川の合流点にあることから、水路が複雑に入り組んだ様はヴェネツィアを思わせるが、それは海水でなく淡水であり、小川を見下ろせば水草を縫うように鱒が泳ぎ、おしどりが羽を休める自然と共生する町でもある。トレヴィーゾ、と聞いてイタリア料理に感心ある人がまず思い浮かべることはふたつ。ひとつはラディッキオ・ロッソ、もしくはラディッキオ・トレヴィジャーノと呼ばれるチコリの一種で、白と赤紫のコントラストが実に芸術的。トレヴィーゾの豊かな水を利用した水耕栽培で丁寧に育てられる冬が旬の高級野菜。生で食べればみずみずしく、焼いて食べても歯ごたえがある。トレヴィーゾにはこのラディッキオ・トレヴィジャーノを使った伝統料理が多くある。

もうひとつがイタリアを代表するドルチェ、「ティラミス」である。イタリア料理の本をめくりティラミスの項目を探すと「ヴェネト地方、おそらくトレヴィーゾ発祥と思われる」と書かれていることが多い。しかしこの菓子の紀元に関しては千六百年頃にメディチ家で作られたという説もある。この菓子はその頃「公爵のスープ=ズッパ・ディ・ドゥカ」と呼ばれていた。なぜスープなのかというと、本来スープの語源は「一切れのパン」という意味であり、中世の頃はパンを肉のゆで汁などに浸した料理を「ズッパ」と呼んでいた。イタリア語で「インズッパーレ」というと「浸す」という行為を表す動詞で、その意味ではトスカーナを代表するパンの煮込み「パッパ・アル・ポモドーロ」も「リボッリータ」もスポンジを使ったドルチェ「ズッパ・イングレーゼ」も「ズッパ・ディ・ドゥカ」も語源的にはみな親戚関係にあたるのかもしれない。その「ズッパ・ディ・ドゥカ」は後にヴェネツィアへともたらされて貴族の間に広まり、さらにその文化圏トレヴィーゾへと伝わったようである。その名「ティラミス」はヴェネト地方でよく使われる「自分を上に引き上げる=元気を出す」の命令形で「私を元気づけて」という意味。例えレシピは古くからトレヴィーゾに存在していたにせよ、その命名者はアントニエッタという女性料理人であったというのがもはや定説となっている。トレヴィーゾの老舗リストランテ「ベッケリーエ」の現オーナー、カルロ・カンペオールの祖母であった。

「ベッケリーエ」はトレヴィーゾ旧市街の中心、シニョーリ広場の裏手にある創業一八七五年の老舗。現在「ベッケリーエ」があるアンチロット広場には中世の頃屠殺場があったのだが、ナポレオンが侵攻した一七九七年に衛生上の理由で町の外に移転、精肉店が並ぶ青空市となる。一八七〇年頃には広場の角に「トラットリア・ベッケリーエ」が開店するが、ベッケリーエとはヴェネト地方の言葉で「肉屋」を意味する。つまり肉屋街にできた食堂、であった。客はほとんどが精肉市場で働く人々。朝早くから働き始めるので朝十時にはとても濃厚な料理「ズッパ・ディ・トリッパ」を食べる人でにぎわっていたという。元々トレヴィーゾのレストランで働いていたカルロ・カンペオールが「トラットリア・ベッケリエ」のオーナーとなったのは一九三九年。「ティラミス」の命名者である妻アントニエッタとともに働き、やがてその息子アドへ引き継ぐ。現在のオーナー、カルロ・カンペオールが兵役を終えたあと「ベッケリーエ」で働き始めたのは一九七七年のこと。当時の常として友達が遊んでいる時も子供の頃から店を手伝っていたカルロにとって店を継ぐのは当然のこと。それだけに「この職業は犠牲をともなってはじめて覚える職業」という。

三年ぶりに訪れた「ベッケリーエ」には予約の十分遅れで着いたが、カルロは入り口でずっと立って待っていてくれた。その控えめながらも堂々とした仕事ぶりは彼の誠実な性格の賜物である。席に着くや否やよく冷えたプロセッコでもてなしてくれたのは陽気なカメリエーレ、パトリツィオ。ほどなく出てきたのはラディッキオ・トレヴィジャーノのフリット。瑞々しいラディッキオに衣をつけオリーヴオイルで揚げ、熱々のうちにレモンを絞って食べる。これはこの日のラディッキオがいかに新鮮か、まず客に味見させるためでもある。カルロの勧めに従ってこの夜はラディッキオ三昧とする。前菜は「ラディッキオと子牛のカルパッチョ」これは「ベッケリーエ」オリジナルの料理で、ヴェネツィア発祥のカルパッチョのトレヴィーゾ風解釈。レモンと塩のみであっさりと食べるサラダ代わりの一品である。

プリモは冬のトレヴィーゾを代表する料理「ズッパ・ディ・ラディッキオ」で濃厚そうにみえるが野菜出汁に炒めたタマネギとラディッキオを加えたスープで、寒い冬の夜には欠かせない伝統料理。実はバッサーノ・デル・グラッパからの旅の途中、少々風邪気味だったのだが、このズッパは凍えた体を心底暖めてくれた。混み始めた店内を眺めていると、そのラディッキオ・トレヴィジャーノが描かれた静物画が壁に掛かっている。訪ねるとこれは地元の画家バルビザンが描いた絵。古くから店の常連だったという。セコンドはこれもトレヴィーゾの代表的料理で「ほろほろ鶏のペッラーデ風」。これはほろほろ鶏のレバー、パプリカ、パン粉で作った伝統的なソース。ほろ苦い味わいがほろほろ鶏の野趣とよくあう。

「ベッケリーエ」のメニューは基本的にアントニエッタの代から変わっていないので、失われつつあるトレヴィーゾ料理を今に伝えている。ラディッキオを使った料理は他に「ラディッキオのニョッケッティ」。牛乳を使って練ったニョッキをラディッキオとタマネギを炒めたソースで食べる。さらに「ラディッキオのリゾット」やいんげん豆と一緒に煮込んだ「ラディッキオ・エ・ファジョーリ」もある。「ソパ・コアダ」は非常に珍しい料理で野鳩とパンを煮込んだスープ。「アヒルのボッリート」も冬の名物。春先にはヴェネト名物白アスパラガスを忘れることはできない。夏は「リジ・アッル・オンダ」。これは冷たい米料理で、昔農作業中の農夫が冷めても美味しく食べられるようにと考案した料理である。こうして名前を書いているだけで夢に出てきてしまいそうな魅力的なメニューの数々である。

ここでドルチェを頼まないと画竜点睛を欠くというもの。アントニエッタ伝来の「ティラミス」はエスプレッソを効かせた甘さ控えめのほろ苦い大人の味。さらに自家製のトウモロコシのビスコッティはマスカルポーネと一緒に食べるのだが、これまた一口食べ始めるととまらなくなる後引く味である。カルロは一九七〇年代のヌーヴェルキュイジーヌ・ブームの頃、伝統料理の大切を再認識したという。その激しい嵐のようなムーブメントはトレヴィーゾにも訪れ、伝統料理ばかりいつまでもやっているカルロに友人が「ヌーヴェルキュイジーヌをやれと助言したというがカルロは頑に首を降り続けた結果。やがてヌーヴェルキュイジーヌの波はあっという間に去り、気がつくと残っていたのは「ベッケリーエ」だけだったそう。

「それは私たち家族に代々伝わるDNAのようなものだから、そう簡単に変えるわけにはいかない」とカルロはいう。

古い店には理由がある。それが今回の老舗の旅の唯一無二のコンセプトだがカルロと話してみて改めて再確認。訪ねて分かる温故知新。伝統のイタリア料理は決して昨日今日生まれたわけでなく、幾度もの風雪を乗り越え、現在まで生き続けているのには確かな理由があるのだ。

アンティコ・リストランテ・ベッケリエ
Antico Ristorante Beccherie(トレヴィーゾ)
Piazza Ancilotto,10 TREVISO
現在は閉店