イタリアの老舗料理店11 アンティカ・トラットリア・スーバン創業1865年

二年ぶりのトリエステはまたしてもボーラ吹き荒れる凄まじい一日だった。冬のトリエステを襲う冷たく激しい北北東の季節風ボーラは時に最大風速百五十キロを超えるというからそれこそハリケーン並み。空はからりと晴れているというのに街の路地という路地を強風が通り抜けてごうごうと凄まじい音を立てている。自転車、スクータ、バイク、ボーラに抗うものは全て路上になぎ倒される。

特に激しいボーラが予想される日は歩行者のため鎖やロープが用意されることもあるというが、確かにこんなに激しいボーラが吹く日は足下を風にすくわれそうで、運河沿いを歩くのはためらわれる。

「スクーターが倒れればサイドミラーとウインカーが壊れて修理代は平均百ユーロ。ボーラが吹いて喜ぶのは修理工場だね」

とタクシー運転手が嬉しそうに語る。天気予報によれば今夜のボーラは風速百キロ。最高で百八十キロを記録したこともあるとか。

それでも昔に比べるとボーラは大幅に減り、今年はまだ二、三回目だという。これで二回連続のボーラ遭遇だというと、

「それはあんたラッキーだね。トリエステのボーラを体験しないで帰るなんて、ローマに来てコロッセオを見ないで帰るようなもんだ。明日は風速百五十キロらしいから車も飛ぶね。ガハハハハ」と豪快に笑った。

運転手氏曰く、冬のトリエステはボーラが雲も湿気も吹き飛ばすので、空気は乾燥してからりとしている。それはトリエステ人の気風にも通じ、豪快でストレート。ついでに声も大きめ。霧で湿ったパダナ平原あたりの連中は性格までじめじめしてきていけねぇ、ということらしい。

そんなトリエステの丘の上にある「スーバン」に着いたので車から下りようとすると、

「ボーラの事故で一番多いのが、降車の際の強風が吹いてドアで指をはさむこと。気をつけて。それとここは肉料理が美味しいからね。ブォナペティート。」と大声で別れを告げると、ごうごうと風が哭く街へと走り去って行った。

「スーバン」は旧市街から車で十分ほどの丘の上に立つ創業一八六五年の一軒家レストランである。現在の当主マリオ・スーバンで四代目、すでに五代目にあたる娘たちも一緒に働く家族経営の店で「クチーナ・ミッテル・エウロペア」すなわち「中央ヨーロッパ料理」を標榜し、マリオの代で一時代を築いた老舗。その中央ヨーロッパ料理とはトリエステの歴史と密接に絡み合っている。イタリアの東端にしてスロヴェニアと国境を接するトリエステ市内にはスロヴェニアやクロアチア・ナンバーの自動車がごく普通に走っている。トリエステは古来長くビザンチンの支配下にあった。十三世紀頃ヴェネツィアとオーストリアという強国の狭間に苦しむようになり一三八二年にはオーストリアの支配下に入ることを選択する。

一七一九年トリエステはハプスブルク家の自由港として認められ、オーストリア・ハンガリー帝国の重要な貿易港となる。ジェネラリ、ロイドといった保険会社は海運業が盛んなトリエステが発祥の地であり、イタリア初の蒸気汽船はトリエステ・ヴェネツィア間に運行した。 第一次大戦後の一九一八年にはイタリアに併合されるが戦争と混乱の時期が続き、ようやく正式にイタリアに復帰したのは一九五四年。そうした長く複雑な歴史からトリエステの文化はイタリア半島よりもオーストリアやハンガリー、スラブの影響を強く受け、料理も同様に地中海的でなく東方的色彩が濃い。

ボーラが吹く寒い夜にもかかわらず「スーバン」は満席状態だった。恰幅の良い白髪の紳士マリオ・スーバンと挨拶を交わすし、伝統的なトリエステ料理を頼むことにする。最初にイオタ。これはトリエステを代表する農家風のミネストラ。キャベツ、インゲン豆、ザワークラウトなどを煮込んだ、寒い夜には欠かせない素朴で暖まるスープ。次いでマリオが「パラチンケ」を一切れ、味見用にと各テーブル配ってくれた。この一風変わった名前の料理、ハンガリーでは「パラチンタ」と呼ばれるが地元の人はシンプルに「クレープ」と呼ぶ。フランスのクレープよりややぽってりした生地に、バジリコに似た地元産の香草マンドゥリエラを加える。前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世も賞味した「スーバン」の味である。メインは焼き上がったばかりの巨大な子牛のすね肉のロースト。これをカメリエーレがワゴンサービスで切り分けてくれる。勢いを増すボーラの慟哭は凄まじく、この夜は耳栓をして寝た。

翌朝、マリオ・スーバンに店の歴史を聞いた。創業者はマリオの曾祖父にあたるジョヴァンニ・スーバン。ハプスブルク家皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟マクシミリアンの仕立て職人だったが、富くじの賞金でトリエステの丘に一軒家を購入。郷土料理中心のトラットリアとして営業をはじめ、旧ユーゴスラヴィアからカルソ高原を通ってトリエステへと向かう旅人たちの憩いの場となる。その息子フランチェスコの代になると、美味しい田舎料理の店としてトリエステ市内からも人々がやってくるようになる。三代目ヴラディミールの頃は二度の大戦を挟む苦しい時代だったが、レストランを改装して拡大。四代目マリオはトリエステがイタリアに世紀復帰する一九五〇年代初頭から働き始め、すでに五十年間「スーバン」の味を守り続けている。マリオが円熟期を迎えた70年代は「スーバン」が最も輝いた時代である。数々のコンクールで受賞を重ねトリエステ料理イコール「スーバン」との名声を確固たるものとし、過去のイタリア大統領が5代連続して食事に訪れた。マリオはいう。

「70年代にイタリアでもヌーヴェル・キュイジーヌがブームとなった時、いつまでも伝統料理にこだわる『スーバン』のスタイルは時代遅れ、といわれた頃もありましたが、私は現代の志向にあうようにレシピを軽くしたぐらいです。『スーバン』のメニューを変えないのは遠方からはるばるやってきた客にいつもの『スーバン』の料理を食べてもらうため。それは家族の間で代々伝わってきた料理ですから、そう簡単に変える訳にはいかない。それこそが時代に左右されないソスタンツァ=本質なのです」

マリオが切り分けてくれたのはトリエステ近郊の町コルモンス産の豚の腿肉「プロシュート・コット」。これにクレンと呼ばれるホーシュラディッシュをすりおろして食べる。ジューシーで香り豊か。東欧の田舎町を感じさせる手作りプロシュートは「スーバン」の忘れられない味である。もうひとつ「スーバン」に来たなら「グーラッシュ」も食べておきたい。牛肉とタマネギ、ジャガイモなどをスパイシーに煮込んだこの料理は、ハンガリーの代表的な農民料理。放牧中あるいは農作業中に食べられるよう大鍋に煮込んでおいて大勢で食べる。ハンガリーからトリエステに伝わったミッテル・エウロペア料理の代表的存在でもある。

ボーラの音を聞きながら異国風料理を食べていると、なぜか遥か遠くまで来てしまったようでノスタルジックな気分になる。それは国境の町が持つ独特の雰囲気のせいなのだが、「スーバン」は過去にそうした旅人を大勢もてなし勇気づけてきた。東欧からイタリアへ、またはイタリアから東欧へと向かう旅の途中、丘の上の一軒家「スーバン」は束の間のやすらぎを与えてくれる山上のオアシスなのである。

アンティカ・トラットリア・スーバン
Antica Trattoria Suban(トリエステ)
Via Comici,2 TRIESTE
Tel040-54368 
12:00〜14:30、19:00〜22:00火曜休 夜は要予約