イタリアの老舗料理店19 ケッキーノ・ダル1887 創業1887年

首都ローマの中心にある古代遺跡群からアヴェンティーノ通りをしばらく南進。アヴェンティーノの丘を過ぎたあたりにテスタッチョという一角がある。特に観光名所があるわけではないので観光客は少なく、古き良きローマが残っているエリアである。下町の主婦が毎朝買い物に訪れるテスタッチョ市場は市民の台所。そして市場の近くに美味い店あり、というのはイタリアの場合どこの街でもあてはまることだが、ここローマもその例外ではなく、昔ながらの伝統的ローマ料理を食べさせてくれる店が多い。

そのテスタッチョの中心にあるのがテスタッチョ山。山、といっても小高い丘ぐらいの高さだが、実はこの山は古代ローマ時代に投棄された素焼きの壷「アンフォラ」が堆積してしてできた巨大な人口物なのである。アンフォラとはワインやオイル、小麦などの運搬用に作られたテラコッタの壷のこと。そうした物資を積んでローマへ向かう船は当時テヴェレ川を行き来していたが、運搬中に破損したアンフォラは川の中に投棄されていた。アンフォラ投棄が船舶交通の妨げになりはじめた紀元五十五年、破損したアンフォラの廃棄場所が法律で現在のテスタッチョ山と定められる。「テスタッチョ」とはラテン語で素焼きの壷という意味。以来数百年に渡って捨てられたアンフォラは積もり積もって高さ七十メートル、周囲八〇〇メートルの山となり、八百六十万個のアンフォラが今もテスタッチョ山の下には眠っている。

しかしローマ人の知恵とは実に偉大なもので、廃棄されたアンフォラにはさらなる使い道があった。元来が食料品の保管用に作られた素焼きの壷なので保温、断熱高価が高く、テスタッチョ山には次第に食料保存用の洞窟が掘られるようになる。その数四十八。洞窟内の気温は年間を通して約十度。「ケッキーノ」はその洞窟を利用して作られ、今もカンティーナの壁はローマ時代のアンフォラで覆われている。まさに天然の冷蔵庫、というわけである。

マリアーニ家が五代に渡って厨房を守る「ケッキーノ」の創業は1887年。ロレンツォとクロリンダという若いカップルが洞窟を改造してワインの小売りを始めたが、店の前に広大な屠殺場の建設が始まるとやがて工事現場で働く人たちのため食事も出すオステリアとなる。1890年にテスタッチョの屠殺場が完成すると今度は場内で働く人々ご用達の店となる。昼夜問わず店を訪れる常連たちは一日の終わりにさまざまな部位の肉を持ち込み、「ケッキーノ」で調理してもらってからそれぞれの家に持って帰ったという。というのもこの時代、労働者にはその日売れ残った内蔵や頭、足などを日当の一部として渡していたのである。

ローマの言葉で「クイント・クアルト」つまり四分の一の五番目、という言葉があるがこれは牛や豚の内蔵や足、頭、尾など正肉以外の部分のことで、日本語の「ホルモン=放るもの」に相当する。ロレンツォとクロリンダの娘フェルミニアの代になるとこうして持ち込まれたクイント・クアルトを美味しく食べさせてくれる店として「ケッキーノ」は有名になる。ケッキーノ」の名物料理に「牛の尾の肉屋風」という意味の「コーダ・アッラ・ヴァッチナーラ」がある。これは、その名のとおり牛の尾を香味野菜とトマトで長時間煮込んだローマを代表する料理だが、この時代の「ケッキーノ」でファルミニアが始めた料理だといわれている。フェルミニアの息子フランチェスコとその妻キアラの時代になるとローマでいち早くワインの充実を図った店としてさらにワンランク、ステイタスを高め、彼らの息子四代目セルジオとその妻ニネッタの時代には、政治家や俳優、役者など時のローマを代表する有名人が訪れるテスタッチョの名店としての名声を確立する。

そうしたマリアーニ家の伝統は五代目にあたる三兄弟エリオとフランチェスコとマリーナが今もしっかりと受け継いでいる。店の前にあった屠殺場はすでに無くなってしまったものの、テスタッチョ山の天然洞窟は変わらず、「ケッキーノ」の隣では、今もそうした洞窟を生かした現役の肉屋が営業している。

厨房に立つ長兄のエリオがいう。「私が作る料理は全てずっと昔から『ケッキーノ』で作られてきた料理。それは家族代々伝わる料理で、祖母のキアラはそれこそ鍋ひとつでいろいろな料理を作っていたし、母のニネッタは鍋のにおいを嗅いだだけで『塩が足りない』といったりして、子供の頃は『まるで魔法みたい』と思ったりしました。」

「ケッキーノ」に代々伝わる料理はマリアーニ家に代々口伝で伝えられた伝統的ローマ料理そのもの。「ケッキーノ」流にいうなら「テスタッチョ料理」の典型にして縮図なのである。

その「ケッキーノ」での晩餐は伝統的な「テスタッチョ」料理となる。まずは「インサラータ・ディ・ザンピ」ではじめたい。これは奇麗に処理した牛のスジをセロリ、人参、いんげん豆とともにレモンで味付けした冷たい前菜。ゼラチン質が多くコラーゲン豊富、これにはフランチェスコが勧めてくれた地元ラツィオ州の土着品種チェザネーゼを使ったコクのある赤ワイン「チルジィウム」をあわせる。

「ケッキーノ」といえば内蔵料理だが、その代表的パスタが「リガトーニ・コン・パイータ」である。これは牛の小腸をトマトで煮込み、羊のチーズ、ペコリーノ・ロマーノをすり下ろして食べるローマの下町料理。ところによって「パッリアータ」と呼んだり、ヤギや羊の小腸を使うこともあるが、とれたての新鮮な内蔵が必要なので現地でしか食べられないローマの味である。あわせるのはこれもローマ名物、極太乾麺のリガトーニ。小腸が原型をとどめてごろりと入った姿に一瞬ひるむかもしれないが、新鮮な材料を使った「パイアータ」を一度食べるとやみつきになり、以後骨太なパスタしか食べられなくなるかもしれない。それほどまでにパワフルで記憶に残る料理である。ちなみにリガトーニの量は推定百五十グラム。ローマのトラットリアは麵の量が多いといつも思うが、この店は別格。心してのぞむべし。

セコンド。名物の「コーダ・アッラ・ヴァッチナーラ」を食べずには帰れない。セロリとバジリコを聞かせたこの煮込み料理は極太の牛の尾が三個入っている。三角形の骨の周囲の肉をせせり、時折赤ワインで脂を洗い流す。付け合わせとして最高の相性を誇るのが「プンタレッレ」。これはカタローニャと呼ばれる花の茎のサラダで冬から春先にかけてが旬。この時期ローマの市場を歩くと、プンタレッレをナイフで細く剥いている光景を見かける。カミソリでそぐように薄く、細く剥き、冷水に放つとくるりと丸まって見た目も美しくなる。これをシンプルにアンチョビとレモンとオイルで味付けして食べるが、旬のプンタレッレにあたるとそれはみずみずしくて、一度食べ始めるととまらなくなる。

もうひとつコントルノ(付け合わせ)としてエリオが作ってくれたのがメントゥッチャと呼ばれるミントとオレガノを使ったアーティチョーク料理「カルチョーフォ・アッラ・ロマーナ」。さらにセコンドをもうひとつ「ガロフォラート・ディ・ブーエ」。これは牛肉をたっぷりの丁字とトマトソースで煮込んだ強烈でスパイシー。これもまたマリアーニ家秘伝の骨太なテスタッチョ料理。ローマといえば羊料理なので羊の煮込みなどざまざまな他のセコンドも試したい。さらに余力のある方は、ペコリーノ・ロマーノをはじめ素晴らしい品揃えのチーズ・ワゴンを。デザートワインも種類豊富。ドルチェはさらに豊富。グラッパも品揃え豊か。こうした老舗巡りの旅は実は体力勝負でもある。

ケッキーノ・ダル1887 Checchino dal 1887(ローマ)
Via Monte Testaccio,30 ROMA
Tel06-5743816 www.checchino-dal-1887.com
12:30〜15:00、20:00〜0:00日曜、月曜休 要予約