イタリア料理伝説01 ヴィンチズグラッシの謎
ヴィンチズグラッシ Vincisgrassi(またはVincesgrassi)というあまりイタリア語っぽくない名前のパスタは、マルケ地方を代表する郷土料理である。正確にいえばマチェラータ、アンコーナ、ペーサロおよびマチェラータに接するウンブリア州の一部フォリーニョ山岳部で作られる。特にペーサロ近郊にあるカルトチェートでは毎年6月の第1に「ヴィンチズグラッシ祭り」が行われる、ヴィンチズグラッシの聖地である。 見た目はエミリア地方の郷土料理ラザーニアに似ているが、まずラグーは挽肉ではなく肉は包丁でダイス切りにし、鶏レバーを加える。スパイスにはクローブやナツメグが多用される。パスタ生地はグラノ・ドゥーロあるいは00を使い、バターやマルサラ、あるいはワインを煮詰めたヴィーノ・コットを使い場合もある。これをベシャメルを加えて層状にし、オーブンで焼く。
ラザーニャを日曜日に母が作る家庭の味とするならば、こちらは男たちが焼く男のパスタ、というイメージ、あるいは「バロック風ラザーニャ」か。 その名前の由来には諸説あるが、ひとつは18世紀の料理人アントニオ・ネッビア Antonio Nebbiaが1781年に書いた料理書「Cuoc Maceratese マチェラータの料理人」には「サルザ・プリンチズグラス salza princisgras=プリンチグラス・ソース」という表現が出てくるのでこれに由来するというもの。これは生クリームを使った白いソースでトリュフやプロシュートを加えて味を作る。
この説によれば当時すでにマチェラータ周辺ではこのソースが一般的だったということになる。 約1世紀後に出版された作者不詳の料理書「Cuoco perfetto marchigiano マルケの完璧なる料理人」にはラザーニャのような層状のパスタ「Visgras ビスグラス」と「Gattò alla misgrasse ガットー・アッラ・ミスグラッセ」という料理が登場する。後者は円形のパスタでSalsa dei Vincigrassi ヴィンチズグラッシ・ソースで味付けする、とある。今日ではラグーにトマトを加えるが当時のヴィンチグラッシはおそらくトマトは使っていなかったと思われる。
南米原産のトマトはコロンブスがスペイン経由でヨーロッパに持ち帰り、当初は観賞植物として広まった。ところがヴェスヴィオ山麓でトマト栽培を始めたところ、火山岩土壌と相まって食用に適したトマトとなった。これを史上初めてソースにしたのはナポリの料理人 Antonio Latiniアントニオ・ラティーニ(1642〜1696)で1600年代後半のこと。ちなみにそのトマトソースは「スペイン風トマトソース」と呼ばれ、皮をむいたトマト、タマネギ、塩胡椒、ピーマン、タイム、酢、オイルで作るものだった。
話をヴィンチズグラッシに戻す。もうひとつの説は、地元の郷土史研究家を中心に唱えられている説で、ナポレオンのイタリア侵攻時代の1799年、アンコーナに駐屯したオーストリアの将軍Windisch Graetz ヴィンディッシュ・グラーツに由来するというもの。ヴィンディッシュ・グラーツ将軍は地元のパスタをいたく気に入ったことから地元でもその名で呼ぶようになったという説。いずれの説も、最古の文献はほぼ同時期なことからどれも決定打にかける、というのが現状。オーストリアの将軍といえばコトレッタ・アッラ・ミラネーゼが先か、ウインナー・シュニッツェルが先か?という話になると必ず登場するラディツキー将軍が思い浮かぶが、その話はまたコトレッタ・アッラ・ミラネーゼの時に。