パスタの聖地、ナポリと周辺を巡る旅

「東方見聞録」を書いたマルコ・ポーロが、中国から麺を持ち帰ったことがイタリアにおけるパスタのはじまりだった。そんな間違った説が流布するようになったのは一体いつ頃のことか。一説によれば、それは1929年にアメリカの業界紙「マカロニ・ジャーナル」が掲載したあるエッセイからだとされている。いわく「中国では女たちが生地をひも状にこねて食べ物を作っており、それを見たマルコ・ポーロはある水夫の名前をとってマカロニ、となづけた」というもの。しかしパスタ研究が進んだ現代イタリアでは、この説は完全に否定されている。例えばシート状のパスタ、ラザニアならばすでに古代ローマ時代のアピシウスの料理書に登場しているし、ひも状のパスタならば1154年にアラブの地理学者アル・イドゥリージが、シチリアで天日干ししているのを見た、という記録が残されている。12世紀のシチリアではすでにスパゲッティ状のパスタが大量生産されていたのだ。「ローマの穀倉」とよばれたシチリアは小麦粉

の大生産地で保存食として乾燥パスタの製法が発達。のちにパスタ生産は船乗り王国だったジェノヴァにうつるが、ほどなく主役の座をナポリに譲ることになる。ナポリ湾に吹く風と南イタリアの陽光はパスタを乾燥させるのに理想的であり、13世紀にはナポリでのパスタ生産は本格化。ヨーロッパ全土にメイド・イン・ナポリのパスタを輸出するようになるのだ。

 

当時のナポリでは乾燥パスタ全般がマッケローニと呼ばれていた。これは「栄養ある食べ物」を意味する古代ギリシャ語マカロニアに由来。まずナポリで訪れたのは1924年創業の老舗製粉会社「カプート」。ピッツァはもちろん南イタリア伝統の手打ちパスタ作りにも欠かせないのが南イタリア特産の硬質小麦だ。この硬質小麦が乾燥パスタの可能性を無限大にし、世界への輸出を可能にした。いわゆるアルデンテもグルテン含有量の多い硬質小麦ならではの特徴。「カプート」では社長のアンティモ・カプート氏自らが工場を案内してくれた。スパゲッティはじめ乾燥パスタに使用する硬質小麦やパンやピッツァなどに使用する全粒粉、軟質小麦など「カプート」では20種類以上の小麦粉を生産。イタリア国内にある自社畑はじめ世界各地の小麦を独自にブレンドし、高品質を保っている。

 

また、ナポリ近郊にはパスタの聖地として知られるグラニャーノがある。地理的要因にも恵まれ16世紀末にはすでにヨーロッパ各国にパスタを輸出していたほど。とりわけ現在人気が高いのが「パスティフィーチョ・カンピ」。2007年創業と新しいが、実は1902年創業の老舗ディ・マルティーノの別会社だ。最大の特徴はトラフィーラと呼ばれるブロンズダイスでパスタ生地を押し出して作る伝統的な製法。独特の刃金を使うことでパスタの表面にざらつきがうまれ、ソースを吸収しやすくなる。ナポリ人がこだわるパスタの出来栄えは、この表面のニュアンスによって左右されるといっても過言ではない。グラニャーノでは昔ながらの手作りパスタ工房が数多く現存するが「パスティフィーチョ・カンピ」はその代表。南イタリアで史上初めてミシュラン3つ星を獲得したナポリ近郊ソレントの「ドン・アルフォンソ」はじめイタリア全土の有名レストランで使用されている。

ゲスト専用の特別キッチンでは専属シェフ、ペッペ・グイダが自慢のパスタ料理を披露してくれた。シンプルなトマトソースやアマルフィ・レモンをソースにしたレモンのスパゲッティなどいずれも伝統のナポリの味だが、レモンを絞ったお湯やトマトソースの中で煮るように作る調理法は、パスタ自体に力がないとできない。南イタリアの太陽がたっぷりとしみ込んだその味は、すさまじいまでの凝縮感で、ナポリ人がパスタを芸術の域に高めたのは、このトマトにある。コロンブスが南米より持ち帰ったトマトは当初鑑賞用だったが、ヴェスヴィオ山麓の石灰質の土壌と出会ってイタリア料理には欠かせない食材となった。特に円錐形のピエンノロというミニトマトは、房のまま軒先に吊るし、完熟させてから使うのがナポリの伝統だ。ゲスト専用のキッチンでは、贅沢にも専属シェフペッペ・グイダの作りたてパスタが味わえる。

 

グラニャーノからさらに足を伸ばし、アマルフィ海岸へと向かう。この辺りは崖にへばりつくような狭いワインディングが延々と続くドライバー泣かせのルート。しかしアマルフィを過ぎると、今度は「魚醤の聖地」と呼ばれるチェターラに着く。チェターラでとれる上質なヒシコイワシを塩漬けにし、その汁を集めたものがコラトゥーラだ。古くはローマ時代からガルムと呼ばれ、美食家を喜ばせてきたこの調味料は独特の味わいと香りを持つ。チェターラではクリスマスにできたてのコラトゥーラを贈り合う習慣が残っている。

「アル・コンヴェント」では名物のヒシコイワシをフライにした「クオッポ」やイワシのマリネ、そして伝統の魚醤コラトゥーラを使ったパスタが味わえる。シェフのパスクワーレ・トレントはコラトゥーラ使いの第一人者で来日経験もある。シンプルなアーリオ・エ・オーリオにコラトゥーラをからめた、どことなく和風なパスタは話のタネにも食べる価値あり。

「アル・コンヴェント」は町一番のレストランで、名物のヒシコイワシをフライにした「クオッポ」やイワシのマリネが人気だが、真のスペシャリティはコラトゥーラのスパゲッティ。シェフのパスクワーレ・トレントはコラトゥーラ使いの第一人者で来日経験もある。ニンニク、トウガラシをオリーブオイルでじっくりいためてアーリオ・エ・オーリオにし、火を止めてパスタとあえてからコラトゥーラをたっぷりと回しかける。見た目ごく普通のパスタなのだがその味たるや日本人の心に響く懐かしの味。そう、魚醤というだけあってアミノ酸が豊富で、醤油の旨味を連想させる。これ目当てにナポリから車を走らせて食べにくる価値がある料理だ。

 

トマト、魚醤をパスタと組み合わせて永遠の定番料理を生み出したナポリ人の才は、肉料理にもいかんなく発揮される。タマネギと牛肉を煮込んだラグーソース「ジェノヴェーゼ」もナポリ伝統の味だ。普通イタリア料理でジェノヴェーゼ=ジェノヴァ風というとバジリコペーストだが、ナポリではミートソース。なぜなら15世紀に港のそばの食堂で、ジェノヴァ人たちが喜んで食べたからという説と、その名もジェノヴェーゼという料理人が最初に作った、という説がある。

「ラ・ファットリア・デル・カンピリオ」は熟成肉の専門店。ナポリは港町だけに普通は魚介中心だが、シェフのブオーノ・ジェラルドはいち早く牛肉を熟成させて提供することを始めたのがこの店だ。熟成させて旨味を引き出した牛肉を使った「ジェノヴェーゼ」のしっかりとした肉感はスパゲッティでは負けてしまうので、筒状の歯ごたえのあるパスタ、パッケリとあわせるのが伝統。噛みごたえあるパッケリは咀嚼するごとに肉とパスタが渾然一体となり、えもいわれぬ食感を生み出す。

 

旅の最後にどうしてももう一度、あのトマトソースが食べたくて卵城の目にある老舗「ズィ・テレーザ」に行く。現在では特に特徴の無い普通のレストランに見えるが1860年創業と古く、イタリア老舗協会にも加盟している名門。かのジャンフランコ・ヴィッサーニもこのレストランで働いていたことがある、ナポリ料理を語るには避けて通れない店なのだ。トマトソースのスパゲッティを頼むと「ナポリではマッキャーティ=染みをつけた、と呼ぶんだ」とカメリエーレがいう。確かに例のピエンノロをひとつかみフライパンに放り込み、さっと色をつけたようなパスタだが、これがまた忘れられない味だった。ナポリでパスタが美味しいのは土壌がいいとか、陽光に恵まれてるとか、空気がいいとか諸説あるが、それはナポリだから、としか言えない。ナポリを見て死ね、という諺があるがパスタに関して言うならば、ナポリでパスタを食べて死ね、という表現がより正しいと思う。