カルロ・クラッコ特別インタビュー

現代イタリア料理を知る重要なキーワードのひとつが「マルケジーニ」である。これは1985年秋にイタリア史上初めてミシュラン3つ星を獲得した「ヌオーヴァ・クチーナ・イタリアーナ」の創設者グアルティエロ・マルケージの弟子たちのことである。当時マルケージの元で働いて若手料理人たちは現在50代前後となってほとんどがスターシェフの座へとかけのぼり、現代イタリア料理界をリードしている。その代表が「クラッコ」オーナーシェフ、カルロ・クラッコであり、80年代以降のイタリア・ガストロノミーの最前線を全て経験して来たといっても過言ではない。初めてクラッコにインタビューしたのは彼のレストランがまだ「クラッコ・ペック」と名乗っていた2002年のこと。その後「マスターシェフ」などのテレビ番組で活躍するようになった以外にも、アマトリチャーナにニンニクを入れるかどうかで、発祥の地であるアマトリーチェ市と論争を巻き起こしたり、クラッコが使う食材に対して動物保護団体が抗議運動をしたりと、イタリア一有名なシェフはイタリア一話題が豊富でもある。

[su_dropcap]Q [/su_dropcap]近年では「マスターシェフ」「ヘルズ・キッチン」など料理番組での審査員や国際料理コンクールの審査員など、イタリア料理のご意見番としてのイメージが強くなってますが、そうしたコンクールに参加する若い料理人の仕事を見ていつも感じることはなんですか?

例えば国際料理コンクールだとイタリア人だけでなく世界中から若者が集まりますよね。それに審査基準とは人それぞれだから誰が優秀だとか決めるのは非常に難しい。しかもわたしが審査するのは非常にレベルの高いコンクールが多いから。人格、個性、文化、いろいろな要素があるから全てもちろん大事だけれど、料理人は料理が全て。つねに自分が作る料理について考えていなければいけないし、そういう料理は自ら語りかけて来る。審査基準は人それぞれでも、料理は見る人、食べる人に平等に話しかけて来る。料理人が料理を表現するのではなく、料理が料理人を表現しているのです。

[su_dropcap]Q [/su_dropcap]それは料理を見ればそれを作った人がどんな考えでどんな料理人生を送って来たか、大体分かるということでしょうか?

そう信じています。あと美的センスとか盛り付けとかは、まあいいです。みんな素晴らしいから。でも一番重要なのは料理に気持ち「アニマ」がこもっているかどうか。これは見ればすぐ分かる。ときどきわたしでも間違えることもあるけど(笑)国際的な料理コンクールに優勝したら料理人としての未来がすごいことになる、ということはみんな分かっている。それでも勝つ人は個性やメッセージ、創造性、アニマ、技術、全てのことをまとめあげることができる人だと思います。伝統だけとか創造的とかだけではダメ。天才ならばいいけどそういうわけにもいきませんからね。技術は学べますから結局は「アニマ」が違いを生み出すのです。

[su_dropcap]Q [/su_dropcap]2015年にフードロスをテーマにした万博がミラノで開かれ以来、食の都としてミラノに対する注目が世界中で高まっています。NYともパリとも東京とも違う。ミラノを代表するシェフとして、食の都ミラノについてどう考えていますか?

ミラノが現在世界で注目されているのはおそらく万博の影響がかなりあると思います。現在のミラノは何かが変わろうとしている。ファッションだけでもデザインだけでもない、食の街として。食というのはレストランに限らず広い意味での文化です。ミラノがあるロンバルディア州は食材も豊かで農業が非常に盛ん。そしてミラノは非常にオープンな街なので人や食材など、あらゆるものを吸収します。

[su_dropcap]Q [/su_dropcap]最近は「ユズ」「シソ」「ダシ」など日本食に関する単語もミラノではごく普通に目にしますからね。

いまはミラノだけでなく世界中がそうなりつつあります。料理の世界ではみな国際的な共通語として各国の言葉を使っている。その昔日本でイタリア・ファッションがもてはやされて大ブームが起き、ミラノに来る大半の日本人の目的はファッションでした。ミラノはそうした現象も全て吸収してきたのです。さもなければわたしたちはいまだに日本料理も知らなかったかもしれません。もちろん日本に行けばよりハイレベルの日本食に出会えますけどね。

[su_dropcap]Q [/su_dropcap]あなたは若くしてグアルティエロ・マルケージやアラン・デュカスの元で学び、シェフとしてエノテカ・ピンキオーリに3つ星をもたらした。マルケージがフランチャコルタに移転した際のシェフもあなたでした。イタリア料理が大きく変わった80年代以降をリアルタイムで、しかも最前線を見て来た人です。

昔と今は全く違いますね。たとえば料理コンクールなんわたしが若い頃イタリアにはなかった。フランスにはありましたけどどちらかというと技術的に優勝かどうかが重要だったので20代で優勝するといことはとても難しかった。でもいまはスマートフォンを使えばオーストラリアの料理もアメリカの料理も日本の料理もすぐに見れるし、よりモダンでグローバルです。いつでもどこにでもアクセスできるし世界の料理人同士もつながっている。そういった意味では料理はより簡単になりましたが、人に感動を与えるのは難しくなりました。同時に世界とも向き合わないといけないしね。

昔はイタリアとフランスがしのぎをけずってスペインも台頭してなかった。フランスといえばヌーベル・キュジーヌでイタリアといえば伝統料理と思われていましたけど、いまは全く違う。そういう意味ではわたしはまさにイタリア料理の変化を見て来ました。

[su_dropcap]Q [/su_dropcap]80年代から現在までイタリア料理はどのように変化して、未来はどうなっていくのでしょう?

現在イタリア料理は、世界でよく語られる言葉「ピッツァとスパゲッティ」だけじゃない。フランス料理が目指したのはつねにまっすぐだったけれど、イタリア料理はいろいろなことをその都度やって、苦労しながら変化して来た。フランスに影響されたヌーベル・キュイジーヌの時代があり、それを全て捨てた時代があった。そしてフェラン・アドリアが現れてまた全てをひっくり返した。でも変化の瞬間というのは何がおきているのか理解しづらい。現代イタリア料理にマンマはもはや存在しません。女性も仕事が忙しいし、プロの料理人はみな男女を問わず若者です。でも変化がない「死んだ料理」ではない。未来もおそらく変化するからこそ生きている料理なのです。

[su_dropcap]Q [/su_dropcap]料理人はアイデンティティを表現することが大事だということですが、ではカルロ・クラッコの料理人としてのアイデンティティとは?

わたしはいつも変化しているので、わたしのアイデンティティとは経験の狭間でつねに動いています。新しい食材や新しい味、新しいアイディアはつねに取り入れています。でも一番重要なのはリコノッシビリタ(認識性)、つまり誰もがカルロ・クラッコの料理だと思ってもらえるようこと。料理人にとってはそれがなによりも重要なのです。