美しく青く、謎に満ちた島、サルデーニャ1
イタリア半島の一番近いところ、トスカーナの沿岸から188キロ、そして、チュニジアから178キロ。地中海西部のほぼ中央に位置するサルデーニャ島は、イタリアからは地理的にも文化的にも遠い存在だ。しかし、その名は青く透き通る美しい海の島として知られ、特に、1962年、イスラムの宗教家であり、やり手の実業家であったアーガー・ハーン4世によって北東部コスタ・ズメラルダが高級リゾートとして再開発されてからは、世界中からジェットセッターがバカンスを過ごすためにやってくるようになった。コスタ・ズメラルダに限らず、サルデーニャの海岸ではどこでも見事な地中海ブルーを堪能できるとあって、イタリア人にとっても人気のバカンス地だ。 だが、夏の一時期を除いては、この島はいたって静かである。いや、密やかといってもいいだろう。サルデーニャ人は概してもの静かで、小柄で、真面目な気質である。それは、この島の歴史に関係している。ヨーロッパ大陸から取り残されたがために、この島を謎に包まれた沈黙の地に仕立て上げたのだ。 サルデーニャには紀元前6000年頃より、イタリア半島やイベリア半島、アフリカを経由して人類が移り住んだと推測されているが、彼らがどこを起源としているのか、はっきりとはわかっていない。唯一、有力な手がかりが、紀元前1500年頃に遡るヌラーゲと呼ばれる巨石群だ。西アジアには古来、巨石を大地に突き立てたり、卓状に据える文化があり、それらが西アジアの遊牧民によってサルデーニャに伝わり、ヌラーゲへと発展したという説がある。そして、このヌラーゲは、サルデーニャ全土に7000カ所も残っているのだが、その用途はまだ解明されていない。要塞や宗教施設を伴った住居跡だろうというのが最も有力な説だ。 ヌラーゲは切り出した石を空積みして円錐台に形作られた建物が百個ほども組み合わされた集合体である。内陸の道を車で走らせていると、ちょっとした高台や、あるいは平地にもヌラーゲを見ることができる。標識も看板もないところに忽然と姿を表すこんもりとした石積みの塊は、巨人が背を丸めてうずくまっているかのようにも見える。それは、原始の時代をそのまま今に持ちこたえてしまったサルデーニャという島を雄弁に物語る巨人の化石なのだ。 牧畜と農耕のつましい日常と“ハレ”の祭り 巨石文化を築き上げた先住民は、やがて、アフリカからやってきたフェニキア人、カルタゴ人の勢力拡大とともに衰退し、古代ローマ人によって征服された。抵抗した少数の住民は東側のバルバージア地方の山岳部に逃げ込んだ。バルバージア、野蛮の地とローマ人が名づけたそこは、その後長きに渡って山賊が棲む地域となる。バルバージアの山賊は羊の誘拐を得意とし、それがやがて人間を対象とする犯罪へと“発展”、20世紀に頻発した富裕層の誘拐事件には必ずサルデーニャ人が関わっていると言われるほど、不名誉なイメージが定着した。もちろん、現在のバルバージア地方には山賊はいない。しかし、険しい岩肌の山々が連なる景色は、生きることの厳しさを感じさせずにはいられない。 美しい海とは裏腹の、牧畜と農耕を生業とする質素な暮らしが、先史から近代までのサルデーニャ人の本質を占めていた。だからこそ、サルデーニャには華やかな“ハレ”の日が存在する。祭りの日には、黒や灰色の仕事着を脱ぎ捨て、鮮やかな晴れ着と金銀細工を身にまとい、歌い、踊る。イタリアには伝統的な祭りが各地に残っているが、サルデーニャほど艶やかな伝統衣装を誇る祭りはそうないだろう。その筆頭ともいえるのが、州都カリアリで5月1日に行われるサント・エフィジオの祭りだ。 紀元3世紀、古代ローマ帝国の軍人であったエフィジオは、遠征の途上で突然の閃光に目がくらんで落馬、その時に天から「私はキリスト、お前は従う者である」という声が聞こえ、気づけば右掌に聖痕が刻まれていた。以来、エフィジオはキリスト教徒となり、バルバージア人の鎮圧のために派遣されたサルデーニャでも福音を説いて回った。キリスト教弾圧を発令したディオクレティアヌス帝は、エフィジオを捕らえさせ改宗を迫るが、エフィジオは拒否。最後はカリアリから40キロ南にあるノーラで斬首されてしまう。その後、殉教者エフィジオは列聖され、かつてつながれた地下牢の上にサント・エフィジオ教会が建立されたのであった。時は移り、1652年、当時ヨーロッパで猛威を振るったペストがサルデーニャを襲った。人々は聖エフィジオにペスト禍終焉を祈念し、聖人の像を担ぎ上げて、カリアリから殉教の地ノーラまでの道を巡礼した。これがサント・エフィジオ祭りの始まりである。 祭りの朝、サルデーニャ各地の約70の町から集まった信徒が厳かに行進を始める。ベールや帽子を被り、女性はスカートと前掛け、男性は革の上着、鮮やかな刺繍が施されたシャツやベストで着飾っている。女性たちが身につけたフィリグラーナと呼ばれる金銀細工のブローチ、腕輪、耳飾りが陽光にきらめく。衣装は町毎に異なり、総じて華やかだが、時に全身を黒く覆う一団もある。細やかなプリーツを何枚も重ねた黒いスカートの表の一枚を背中側からひっぱり上げ、頭から被ってベールのように装うなどというスタイルは、斬新な現代ファッションのようだ。 巡礼だから、行進する者が口を開くことはないが、ごくたまに賛美歌を謳いながら通り過ぎる一団がいる。そして、殊更に目を引くのが子供たちだ。一丁前に着飾り、緊張と高揚がないまぜになった興奮で頬が紅潮している。時折り見せる笑顔がまた愛らしく、沿道で見物する人々もそれが見たくて気を引こうと手を振る。こうして、一つの町の一団が通り過ぎると、また次の町の一団が続く。およそ七千人が四日間をかけてカリアリとノーラを往復する大巡礼は、島最大の祭りであると同時に、初回以来一度も途切れたことがない。SAPORITAをもっと見る
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