サルデーニャ!9ヌオロ郊外、アグリトゥリズモ・テストーネ(無料公開)
アグリトゥリズモ「テストーネ」はヌオロの北、13キロほどの距離にあることがわかっていたから、曲がりくねった山道とてそう時間がかかるわけではないはずだった。しかし、現実とはかくもうまくはいかないものだ。時間がないときに限って、トラブルは発生する。まず、ヌオロから目指す国道389号線に乗り損ねて、131号線の分線に入ってしまう。高速道路のようなものだから引き返すにも容易ではない。やっとの思いで389号線に入り、カーブの多い道をひた走る。天気はいい。左右は下半身を剥がれたコルク樫の林。剥がされてまだ日が浅いのか、木肌は痛々しいくらいに赤い。立ち止まって写真を撮りたいところだが、時間が迫っているので、食後にしようと先を急ぐ。 ようやく、目指す標識が見えてきた。テストーネ、の文字。矢印に従って突き進む。2キロほど進んだところでテストーネの門に到着。しかし、固く閉まっている上に呼び鈴もない。アグリトゥリズモに電話しようにも携帯電話のディスプレイは圏外を示している。しばらくうろうろした挙げ句、門をむりやりこじあけて進入。舗装はおろか、ほとんどけもの道、これで雨でも降っていようものならオフロード仕様でないととてもじゃないけれど進めないような悪路だ。どのくらい進んだのか、時間にすると10分くらいだろうか、開けたところに出たけれど、目の前には再び鉄の門が高々とそびえ、その後ろには羊の大群がいる。またこじあけるか、引き返すか。こじあけたところで、どこに行き着くのかわからない、ここは一旦引き返して、携帯電話がつながるところまで後退しようと結論する。 悪路を戻り、もと来た道を引き返して1キロほど行ったところでようやく電話ができた。すると向こうは「どうしたんです、ずっと待ってるんですよ」といきなりの非難口調である。どうしたとはこちらのセリフですよ。門は閉まってるし、入った先には羊の群れだったんですよ、と反論する。「いいんです、そのまま突き進んでくれて」という。おいおい、本当に? 仕方なく再び開かずの門に突入する。さきほど羊に占領されていた第二の門に今は誰もいない。その門を“自力で”開けて、先へ先へと進んで、ようやく人の住処らしきところを見つけたときは心底力が抜けた。時刻はもうすぐ3時。ランチタイムぎりぎり間に合った、とはちょっと言いがたいけれど。 アグリトゥリズモ「テストーネ」のオーナー、セバスティアーノは小柄で、農夫というよりは学校の先生のような風貌の人物である。予定よりもだいぶ遅れて到着した我々を「とりあえず、食事しましょう」と荷解きも許さずに食堂へと誘った。食堂はがらんと広い空間に、一度に20人くらいが着席できる長テーブルが二つ並んでいる。その一角、暖炉に近いところに3人分の皿がセットされていた。3人。つまり、我々二人とセバスティアーノ。彼は一緒に食べようとずっと待っていたのだ。非難口調にもなるわけである。 「まぁまぁとりあえず一杯」とカラフの赤ワインを注いでくれる。軽い酸味と渋みのバランスのいい自家製ワイン。前菜はこれまた自家製のグアンチャーレ(豚ほほ肉の塩漬け)とサラミ。空腹なので、セバスティアーノがパスタの準備に入っている間にぱくぱく食べる。後で聞いたが、豚仕事(豚をつぶして生ハムやサラミなどを仕込む作業)は毎年12月に行う。冬の始まりに仕込んで寒い間中熟成させ、必要に応じて食べていくのだ。 「さぁ、アリサンザスですよ」と持ってきてくれたパスタ料理は、幅広のパッパルデッレのような麺にトマトソースをあえたシンプルなものだった。アリサンザスはパスタの名前、硬質小麦粉と、卵、水、塩を練って伸ばし、ざくざくと切ったもの。厚みがあって、はずむような弾力が「食べてるなぁ」と実感させる。トマトソースはオリーブオイル、塩、月桂樹のみのシンプルレシピ。トマトの酸味と甘み、そこにたっぷりとペコリーノ・サルドをすりおろしてある。酸、甘、塩あるいは旨味、黄金の三角バランスがここに完成していた。 「昼食に肉は重いかと思って、今日は野菜とチーズをセコンドにしました」と言われた時、ほんのちょっとがっかりしたけれど、それは一瞬後に払拭された。供されたのは、カリフラワーとオリーブの蒸し煮、きのこのトリフォラーティ(にんにく、イタリアンパセリと一緒に炒めた料理)、そして、フルーエとメルカのペコリーノチーズ2種。カリフラワーは「砂糖入ってますか?」と思わず聞いたくらい、甘い。答えはもちろん、ノー。オリーブオイルと塩漬け黒オリーブで蒸し煮しただけだという。きのこは自生する巨大なしめじのようなものを粗く刻んである。きのこ自身の水分だけでしっとりと炒め上がっていて、ふんわりと森の匂いがする。ワインのつまみに最適だ。そして、フルーエ、羊乳にカッリオ(凝固剤)を加え、固まったところを塩水に浸けたもの。つるりとした食感で、たとえて言うなら微かな酸味のある牛乳羹か。とてもヘルシーな感じがする。メルカはフルーエから水分を抜き、熟成させたもの。堅く締まっているが、しっとりしていて、結構塩辛い。スライスしたトマトに合わせているが、パスタや焼いた肉におろしてかけても合うと思う。 セバスティアーノは、料理を作り、サーブし、しかもよくしゃべる。いろんなことを話してくれる。料理について、家畜について、サルデーニャの今昔について。録音しておけばよかったなと悔やむ。でも、録音したものを聞き返すのは味気ないとも思う。一瞬一瞬を脳細胞に刻みこむほうが“糧”になる。食後ものんびりとおしゃべりしていたら、イタリア人4人連れが入ってきた。そのうちの一人がセバスティアーノの知り合いで、本土のお客人に島を案内して回っているところらしい。彼は我々に一冊のガイドブックをくれた。サルデーニャのアグリトゥリズモ・ガイドだ。「私はカリアリの観光局関係で働いてるんだ。それであちらこちらのアグリトゥリズモの知己があるんだが、なかでも、ここは古くからしっかりしたコンセプトで運営している老舗アグリだよ。早くからビオ(有機)農法を取り入れているしね」。 セバスティアーノの家は祖父の代からの農家だ。メインは酪農で、300ヘクタールの敷地に羊と牛、馬を放牧している。チーズやヨーグルトなどの乳製品のほか、サラミやワイン、ハチミツ、パーネ・カラサウ、菓子なども作り、人工湖ではマスも養殖している。さらに、食堂の隣に、ちょっとした農具博物館も設けていて、鋤、鍬、鎌から籠やこね鉢、布などが展示してある。コルクでできた小さな腰掛けもあった。軽くて丈夫で温かい腰掛けはなかなか便利そうだ。そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ、気がつけば夜になっていた。クルク樫の林はまた明日へと先送りである。 コルク樫は、サルデーニャの主要産物の一つであり、風景を彩る重要なエレメントである。島のほぼ全域で栽培されているが、ガッルーラ(北東部)、ゴチェアーノ(ヌオロの北)、スルチス・イグレズィエンテ(南西部)の各地方に特に多い。ちなみに、イタリアではほかに、南部トスカーナのマレンマ地方もコルクの産地だが、サルデーニャでイタリア国内のコルク製品製造量の8割を担っているというから、ほとんど独占状態である。 コルク樫の利用は一説によると3千年くらい昔に始まったという。現在ではお馴染みのワインの栓のほか、靴のパーツや、建材としての利用も増えている。軽く丈夫でしかも柔軟性に富み、断熱性、撥水性に優れているといいことずくめの素材だからだ。しかし、コルク樫から樹皮を剥ぐのは、樹齢18歳以上で、一度剥いだら次に剥ぐまでに最低十年を経なければならないと決められている。だから、生産者は大量のコルク樫を栽培してローテーションを組まなければならない。そして、コルク樫の寿命は約300歳、一生のうちに28回くらい皮を剥がれることになる。人もコルク樫も辛抱強く生きているのだ。 テストーネでの朝食は、温かいミルクとジャム、はちみつ、バターとパン。シンプルで美味しい。作っているところで食べるというのはなんといっても一番の贅沢だ。我々のほかに、いつの間にやってきたのか、子供連れの4家族ほどのグループも朝食の席についていた。イタリア人ファミリーというのはそもそもとても賑やかで、それが4家族も一緒となるとほとんど収拾がつかないといってもいいくらいの騒ぎとなる。子供達は走り回り、大人は口々にしゃべる。「このジャムはどうやって作るの?」「ハチミツが旨いねぇ」「パンをこっちにももっと回してくれよ」等等。朝からテンションが高く、つられて我々も目を覚ます。負けじとスピードを上げて朝食を平らげた。 そろそろ出発という頃になって、セバスティアーノが「今度来た時は、フィリンデウの作り方を見せてあげよう」という。フィリンデウとは、バルバージア地方の手打ちのパスタで、ごくごく細い糸状にのばした生地を目の細かい斜め格子の板に成形して乾燥させたものだ。紙のように薄く、日にかざすと透ける。とても美しいパスタである。食べる時は、羊からとったブロードに折り入れて2分ほど煮、ペコリーノをたっぷりすりおろす。カリアリの食料品店で乾燥品を入手したので自宅で試してみたら、まるでにゅうめんだった。内陸の厳しい冬に耐えるための一品である。次回はフィリンデウをテーマに再訪を約束し、我々は北へと向った。

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