来日記念ジョルジョ・ピンキオーリ独占インタビュー
GIORGIO PINCHIORRI ジョルジョ・ピンキオーリ 1943年モデナ近郊の農家生まれ。5才の時、大雪で生家のブドウ農園は大打撃を受けるが子供の頃からワイン作りを目指す。少年時代に母と共にフィレンツェに移り、ホテル学校でサービスマンとしても勉強を始める。やがてフィレンツェの名店「サバティーニ」「レ・ロッジェ」「ブカ・ラーピ」などで働くうちに本格的にワインに目覚める。1973年にはそれまでコレクションした500本のワインとともに「エノテカ・ナツィオナーレ』をOPEN。パートナーのアニー・フェオルデはワインバーで簡単な料理を出していたが1979年に移転して「エノテカ・ピンキオーリ」となり1982年に一つ星、翌年2つ星と一気にイタリアを代表するレストランへと進化する。当時すでに3500種、100,000本を誇ったピンキオーリのワイン・コレクションはイタリア屈指のものであり、1984年には「ワイン・スペクテイター」で世界最優秀カンティーナに選ばれる。1993年にはついに3つ星を獲得。これは1986年の「グアルティエロ・マルケージ、1990年の「アンティカ・オステリア・デル・ポンテ」に次ぐイタリア史上3軒目の3つ星。1993年には世界初の支店として銀座に「エノテカ・ピンキオーリ東京」をオープンした。しかし栄光と同時に悲劇も訪れ火災によってワイン20,000本を焼失。1995年にはその影響で2つ星に降格する。しかし2004年には再び3つ星を獲得し現在まで16年連続で維持。ちなみに3つ星から降格したのも復活したのもイタリアでは「エノテカ・ピンキオーリ」のみであり、女性シェフとして、また外国人シェフとしてイタリアで3つ星を獲得したのもアニー・フェオルデがイタリア史上初だった。「エノテカ・ピンキオーリ」でシェフをつとめたのはカルロ・クラッコ、パオロ・ロプリオーレ、エンリコ・クリッパなど現代イタリア料理界を代表する料理人ばかり。2007年には「エノテカ・ピンキオーリ名古屋」をOPEN。「エノテカ・ピンキオーリ東京」は2010年末で閉店したものの2019年度「ミシュラン愛知・岐阜・三重 2019 特別版」で一つ星を獲得した。Q:1993年に銀座にOPENした「エノテカ・ピンキオーリ東京」は第三次イタリア料理ブームを牽引するイタリア最高級店で、「サバティーニ」とともにそれまでフランス料理一辺倒だった銀座レストラン地図を塗り替えるエポックメイキングなできごとでした。当時まだミシュラン東京は存在していませんでしたし、いまだイタリア料理店で3つ星は誕生していません。しかし当時もしミシュラン東京があったなら「エノテカ・ピンキオーリ東京」で3つ星を獲得していたと思いますか? A:さあ、それはどうでしょう。当時「エノテカ・ピンキオーリ東京」があった銀座コアはすでにエアコンとか設備が古くて場所的に問題があったんです。(注・銀座コアは1971年開業)最近また行ってみたんですけど、新しいレストランが入ってますが、相変わらず建物は不潔だし、臭い。その時点で2015年までにはビルは解体されるという話でした。それからさらに4年がすぎましたがビルはまだ建っている。おそらく2020年には東京オリンピックがある、ということにも絡んでるのだと思います。
「エノテカ・ピンキオーリ名古屋」1つ星獲得の意義
Q:それだけに「エノテカ・ピンキオーリ名古屋」が一つ星をとったのは嬉しいできごとですよね。 A:もちろんそうですが、今日は少しよくない話もしましょう。わたしはいつも友人たちから「ジャーナリストにはネガティブなことは話すな」と言われてるのですが、とそういうことも聞くのもあなたの仕事ですから今日は色々話しましょう。まず「エノテカ・ピンキオーリ名古屋」にもいろいろ問題があります。 レストランとは最低でも週に1日は休まないといけないのです。しかし日本の全ての高級レストラン、「ベージュ」もそうですしシャトー系は全て年中無休。しかし労働時間削減という問題がつねにあります。しかしこのビルのオーナー、トヨタはそれをのぞまず年中無休を求めていますが、それには2倍の人手がいるのです。現状のスタッフで労働時間を削減するにはディナーのみの営業にするか、せめて週1日休みにするかです。しかしトヨタは年中無休を求めている。世界中いまはどこでもみんなそう。わたしはレストランの壁を塗りなおしたかったのですが、それには一週間休業しなければならなかった。なのでビルからは許可がおりませんでした。大晦日でさえも営業することが求められているのです。しかし一つ星をとったとはいえいろいろまだ変えなければいけない。おそらくシェフも年齢的にそろそろ交代するでしょう。新しいシェフはリッカルド・モンコとともに決めなければならない。そうなったら新シェフはまずフィレンツェで2ケ月ぐらい働くことになるでしょうね。ところで料理は気に入りましたか? Q:はい、気に入ったものも、そうでないものもありましたが、とにかく素材を重視して調理は最低限、ということがわかりました。マテ貝、魚、タチウオはとても美味しかったですが、タコのタリアテッレはそうでもありませんでした。でもガルガネッリも鴨も美味しかったですし、ドルチェは楽しかったです。 A:うちのパステッチィエレはちょっと頭がおかしいんでね笑 Q:とても楽しくて美味しいドルチェでした。それにワインもさすがにすごいラインナップですよね。RedifgaffiとかSoli San Lorenzoがグラスで飲める。 A:そうです、みてくださいAlceo,Ornellaia, Guado al Tasso, Sassicaia, Solaiaも全てグラスで提供します。それも5000円ぐらいですから高すぎるとは思えない。ワインリストはいつもわたしが管理してるんですよ。ワインもイタリアから日本に直接送っています。1月にもスプマンテを航空便で送りましたし、現在のワインリストはまだまだですが、もうすぐ次の便3500本が届くので9月以降はさらに充実したものになるでしょう。ワインはそれぞれ各種4本ずつ、ペトリュスも入ってます。グラスで2000円からボトルで7〜8000円からになります。 それにこのロケーションは素晴らしい。フィレンツェとは仕事の内容は異なりますが、名古屋店もまだまだよくなる。今朝も夜遅くまでフィレンツェのスタッフと電話で話したのですがみな満足してますよ。もちろんフィレンツェのほうが客単価も上ですけど、去年われわれはいい仕事をしたと自分たちでも思っていたのです。 しかしまだ継続性という問題がある。ある夜は満員、次の日はそうでもなかったりする。フィレンツェ店はディナーのみの営業ですが「エノテカ・ピンキオーリ名古屋」は50席以上あり、ランチも営業しています。それでもわれわれはこの店のクオリティに満足しています。「エノテカ・ピンキオーリ」銀座に復活?
A:ところで今度「エノテカ・ピンキオーリ」は銀座に戻れるかもしれない。実はすでに何箇所が物件を下見したのですが、今の東京は家賃が高すぎる。1ケ所は1300平米、おおげさすぎます。もうひとつは400平米、これじゃ小さすぎる。名古屋店は520平米なのでこれぐらいがよい。日本のパートナーも東京にもう一度「エノテカ・ピンキオーリ」を開けたいといっている。いま東京はオリンピックブームですが、過去の開催都市同様おそらくオリンピックの一年後には家賃も下がるでしょう。わたしは日本料理は最高の料理だと思っていますがイタリア料理だって素晴らしい。イタリアはいまマッシモ・ボットゥーラだけではありません。エンリコ・クリッパもいるし、リッカルド・モンコもいる。カルロ・クラッコは「エノテカ・ピンキオーリ」を3つ星にひきあげてくれました。 Q:イタリア料理のみならずあなたは日本料理にも詳しいし、この20年間世界中の最高の店をみて来ています。いま現在日本のイタリア料理も非常にレベルが上がっています。その銀座にピンキオーリが戻る、というのはどういう意味がありますか? A:本当はまだ秘密なんですけど今日はいいます。わたしたちは日本の素晴らしい文化、教養をリスペクトしています。日本のパートナーが名古屋に食事に来るたび「東京にも開けないといけません」と言ってくれますし、そうなればもちろんわたしたちも嬉しい。正式に決まればすぐに計画をスタートしますよ。 わたしたちには「エノテカ・ピンキオーリ東京」の良い経験もそうでない経験もあります。わたしは本当にたくさんのワインを買うんですよ。レストランには3本で十分でもいつも12本買うんです。昔ワインにはものすごい投資をしてきました。日本には感謝しても仕切れない、その思いを形にする
A:それに日本には感謝しなくてはいけないのです。わたしはフェラーリ好きなのですが1993年に「エノテカ・ピンキオーリ東京」がオープンした時日本のパートナーはこう言ってくれました。「エノテカ・ピンキオーリ東京」の開店記念日は3月15日ですが、来年3月の時点で店が上手くいっていたらクリスマスにフェラーリをプレゼントしましょう」それはフェラーリテスタロッサの最新モデルした。 それだけでなく日本からいただいたものは本当に多い。わたしたちは1993年に不幸な火事でワイン20,000本を失い、その一年後には2つ星に降格しましたが、なんとか立ち上がり再び3つ星を獲得することができました。それは精神的にも経済的にもいろいろな力を日本からいただいたからです。わたしは日本語が話せないし、家族もフィレンツェに住んでいますが、日本を離れるときはいつも涙が出そうになります。私がどれほど日本を愛しているか、日本がどれだけ多くのものをわたしにくれたか、それは言葉で表すことができない。名古屋も京都もリスペクトしていますが「東京」に「エノテカ・ピンキオーリ」を再オープンするのはオリンピックがあるからではない。オリンピックは1ケ月で終わりますから、そのあとのほうがもっともっと重要なのです。ぜひこの話を日本のみなさんにして、私の気持ちを広めてください。今日はお越しいただき本当にありがとうございました。SAPORITAをもっと見る
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