イタリアのパンと菓子における三つの”発酵”
イタリアでは、粉をベースとした練り生地を使ってオーブンで焼き上げるパンやお菓子について語るとき、リエヴィトやリエヴィタツィオーネといった言葉を使う。それぞれ日本語では“酵母”、”発酵“と訳すことが多い。が、それは必ずしも正しくない。例えば、タルトやケーキを作るときに加えるリエヴィトは白い細かな粉末の、重曹やベーキングパウダーのようなもので、一般に市販されているものにはバニラの強烈な香りがつけられている。
リエヴィタツィオーネという言葉は、市販のイーストや自家培養発酵種(リエヴィト・ナトゥラーレなどと呼ぶ)を加えた生地を発酵させることを意味するだけでなく、重曹やベーキングパウダーを加えた生地が膨らむこと、あるいは、そういった膨張剤すら使わず卵や油脂の力を利用して膨らませるもの・膨らませること(スポンジケーキやパイ生地など)を指す。要するに、「粉をベースとした生地が空気を含んだり、発酵による炭酸ガスで膨らむこと」を総称するのがリエヴィタツィオーネであり、リエヴィトも「生地を膨らませるもの」と訳す方がより正しい。
もう一つ、“発酵”と訳すフェルメンタツィオーネという言葉は、ワインや、チーズそのほかの発酵食品の工程について語るときに使う。イーストやリエヴィト・ナトゥラーレを使って発酵させるものについてはフェルメンタツィオーネとはいわないが、リエヴィト・ナトゥラーレを仕込むときに起きる現象は、フェルメンタツィオーネである。ちょっとややこしいが、この点を理解すると、パンや発酵菓子の本をスムーズに読める。
リエヴィト(膨らませるもの)には、大きく分けて3種類がある。

・リエヴィト・キミコ(ケミカル)=重曹やベーキングパウダー

・リエヴィト・コンプレッソ(圧縮)=ビール酵母、いわゆる生イースト

・リエヴィト・ナトゥラーレ(またはマードレ)=自家培養発酵種
重曹やベーキングパウダーといったケミカル以外の二つは、「リエヴィタツィオーネ・ビオロジカ(生物による生地の膨張)」、日本語で言うところの「発酵」を起こすものだ。
日本ではしばしば、「天然酵母」という言葉が使われるが、生イーストやイースト(ドライイースト、インスタントイースト、リキッドイースト)も、サッカロミケス・セレビシエという自然界に存在する酵母を純粋培養したもので、決して化学的に作り出されたものではない。極端な言い方をすれば、イーストを使っても天然酵母を利用したと表現しても問題はない。天然酵母という表記を見ると「自家培養発酵種を使用している」というイメージがあるが、その実態は非常に曖昧で漠然としている。だから、天然酵母という言葉を使わず、「ケミカル」「圧縮」「ナトゥラーレ」といった分け方のほうが実態に即している。
一般的にパンや発酵菓子に使うのは、「圧縮」のビール酵母やイースト、もしくは「ナトゥラーレ」の自家培養発酵種である。イタリアのビール酵母は、2/3が水分で、残りがタンパク質、炭水化物、食物繊維、脂質、ミネラル、ビタミンBなどで構成されている。一方、ナトゥラーレの自家培養発酵種は、さまざまな乳酸菌、サッカロミケス・セレビシエ、小麦粉に存在する酵母などが混ざり合っている。ちなみにリエヴィト・ナトゥラーレは、リエヴィト・マードレ(母)、リエヴィト・アチド(酸っぱい)などとも呼ばれるが、最近は、リエヴィト・ナトゥラーレと呼んでリエヴィト・コンプレッソと区別する傾向にある。
ビール酵母が発明されるまで、パンは前日に残しておいたパン種を元にして生地を作るのが普通だった。この残りのパン種のうち、粉と水だけで練ったものをリエヴィト・マードレと呼んだ(塩や他の材料が混ざったものは単にパン種が育ったもの=クレシェンテなどと呼ぶ)。現代では、リエヴィト・ナトゥラーレ(自家培養発酵種)は、粉と水のみ、あるいはそこに発酵を促す素材(ヨーグルトや熟した果物など)を加えたりして、ゆっくりと時間をかけて粉、水、空気中の微生物による発酵活動(乳酸発酵とアルコール発酵)を続けることでできあがる。
イタリアでは、パン作りにリエヴィト・ナトゥラーレを使うのは、パンの風味を追求する限られたパン職人やパン屋だけだ。そして、もう一つ、リエヴィト・ナトゥラーレが欠かせないのが、パネットーネやパンドーロ、コロンバといった伝統発酵菓子である。これらはグランデ・リエヴィタツィオーネ(偉大なる発酵菓子)とも呼ばれ、イタリアの国が定める規範に則り、リエヴィト・ナトゥラーレを使うことが前提となっている。だからと言って、リエヴィト・ナトゥラーレの代わりにビール酵母を使うことが禁止されているという訳ではない。実際にビール酵母で作るレシピも多く存在する。しかし、ビール酵母よりもリエヴィト・ナトゥラーレで作る方がより風味が複雑になり、気泡をたっぷり含んで柔らかく、日持ちがする。その利点をセールスポイントにして、半加工や加工した“リエヴィト・ナトゥラーレ”を販売するメーカーが増えているが、本当に自家培養したリエヴィト・ナトゥラーレの方がより美味しくできると言われる。不安定で手間もかかるが、それを自力で克服しなければ得られない美味しさというものが存在するのだろう。
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