情緒薫る日本家屋オーベルジュで長崎イタリアンを———「陶々亭」
江戸時代、中国やオランダとの唯一の交易地であった長崎。キリシタンや外国にまつわる文化が今に残る、日本で最も歴史的異国情緒を感じさせる街として知られるが、その本当の魅力は、観光地を巡るだけでは味わうことができない。時が刻んだ長崎の真の姿を見るには、もっと奥深く分け入る必要がある。そんな機会を与えてくれる稀少な場所が、オーベルジュ「陶々亭」だ。 交易のために中国からやってきた人々は鎖国時代、幕府が定めた居留地に建てられた唐人屋敷に住み、中国式の寺を建て、居留地の外に出ることは厳しく制限された中でも華やかな文化を築いたという。その居留地、館内町に隣接する十人町に「陶々亭」がある。唐人屋敷通りの入り口、象徴門にほど近い細い石畳の坂道を上ってすぐ右手、緑のなかにひっそりと隠れるように佇む日本家屋だ。 明治41年(1908年)に貿易商の自宅として建てられたという二階建ての家屋は、昭和24年(1949年)頃、料亭となり、おそらく当時では唯一の中華料亭として政財界の要人が足繁く通う店として繁盛した。正統な長崎卓袱料理を供する名店として2020年まで続いてきたが、大将が高齢となったため中華料亭の看板は下ろすこととなり、2023年、長崎の隠れた魅力を滞在することで味わえるオーベルジュに生まれ変わった。 2階のかつては宴会場として賑わった広間を一番大きな「主屋OMOYA」、別棟の「離れHANARE」、そして「蔵KURA」と客室は三つ。いずれもオリジナルの設えを残し、床の間を始め柱や欄間の意匠を凝らした造りからは、往時の豪商の華やかなりし暮らしぶりを窺い知ることができる。雪見障子の向こうには庭の緑、さらには隣近所の建物も垣間見え、まさに“暮らすように”滞在できるのがまた魅力である。客室の床は基本的に白木の板張りで、そのなめらかで温かみのある質感が心地良く、さらに「主屋」の居間では畳のいぐさの香りがほっと心を落ち着かせてくれる。街歩きの疲れを緩やかに解きほぐしてくれる宿だ。 料亭だった歴史を今に引き継ぐのは、レストラン「HAJIME」。「主屋」の一階を占めるイタリア料理店である。ランチ、ディナーは宿泊客以外も利用できるとあって昼は地元の人々、夜は遠方からの旅行者も多いという。シェフを務める高坂二木さんは、出身地福岡を離れて神戸、ナポリ、大阪で一貫してイタリア料理の道を歩んだという人物。ナポリでは2年間老舗のピッツェリア「スタリータ」で経験を積み、大阪に移ってからはトラットリアで生涯師匠となる料理人と出会い、その後独立。イタリア料理店、日本ワインバー、イタリア菓子の店を展開していたが、老齢の両親のために帰郷。縁あって2023年11月より「HAJIME」のシェフとして、朝食からディナーまで忙しく動いている。 「陶々亭」の玄関を入る前におそらく全員が目にするのがピッツァ窯だろう。なにしろ目立つところに薪が積み上げられ、そこに視線を向けると自然にその奥にある窯が見えるのだ。長崎は建物が密集し、細い道も多いため、市内で薪を使った窯は消防法で厳しく制限されている。「HAJIME」は特殊な排煙設備を整えたおかげで、街で薪窯を許された初めてのピッツェリアでもある。ランチでは前菜の盛り合わせとピッツァもしくはパスタを選べるショートコースが人気で、とりわけ薪窯のピッツァを楽しみに訪れる人が多いという。ディナーでは、コースの締めくくり、デザートの前にピッツァが登場する。もちろん、丸々1枚では多すぎるので小さめ(1枚の生地は100g)を切り分けて提供している。当初はデザート前にチーズを出す予定だったが、せっかく窯があることからクアットロ・フォルマッジのピッツァを採用したことがきっかけで、今では2ヶ月ごとにメニューを変えるのに合わせて、ピッツァも季節感を大事にしているという。 料理についてもう一つ、高坂シェフがこだわっているのは、可能な限り長崎の素材に限定すること。魚介も肉も地元産の上質なものが揃うにも関わらずあまり知られていない現状を打破し、長崎の魅力発見に貢献したいと奮闘している。朝食も、これまで和食の経験はなかったが、長崎の食材を駆使した和食を提供。イタリア料理も和食も、そしてかつては中華料理も、ごく自然に融合させてしまう日本家屋の懐深さを堪能できる稀有なオーベルジュである。
陶々亭 https://www.tototei.jp
長崎県長崎市十人町9-4 tel.095-801-1626 レストラン「HAJIME」(予約制、火曜水曜定休)

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