トリエステの立飲み酒場「チェムット」
国境の街トリエステに電車で訪れたことがある人ならお分りいただけると思うが、中央駅に降り立つとそこはかとなく寂寥感が漂っているのだ。それは国境の街に特有というか、これより先は旧東欧圏であり、かつては栄華を誇ったハプスブルク家勢力圏の辺境の地であるがゆえ… 続きを読む
国境の街トリエステに電車で訪れたことがある人ならお分りいただけると思うが、中央駅に降り立つとそこはかとなく寂寥感が漂っているのだ。それは国境の街に特有というか、これより先は旧東欧圏であり、かつては栄華を誇ったハプスブルク家勢力圏の辺境の地であるがゆえ… 続きを読む
スローフード協会が毎年発行するレストランガイド「オステリエ・ディタリア Osterie d’Italia」を開いて見るとわかるが、これは単に街ごとのレストラン、特に伝統料理を出すトラットリア、オステリアを中心に評価するだけではなく各都市ならで… 続きを読む
以前東京の某外資系高級ホテルのPR担当者から、メインダイニングであるイタリア料理店のPR戦略について相談された時のことである。「池田さん、なにかレストランの知名度アップにつながる集客方法はないでしょうか?」と聞かれたので、イタリア人エグゼクティブ・シ… 続きを読む
6000年前にワインが生まれたとされるジョージア(旧グルジア共和国)では、その当時素焼きの壺「アンフォラ=クヴェヴリ」を使ってワインの発酵、熟成、貯蔵を行なっていたという。白ぶどうを果皮や種ごと素焼きの壺に入れ、ブドウ本来が持つ自然酵母の力で時間をか… 続きを読む
20世紀におけるアブルッツォのワイン生産は、何人かの意欲的な生産者をのぞきほとんどが生産者組合=カンティーナ・コペラティーヴァ Cantina Cooperativa(あるいはカンティーナ・ソチャーレ Cantina Sociale)に頼ってきた。それには歴… 続きを読む
アブルッツォ・ワインの名醸地コッリ・キエティーニにある「マッサリア・ディ・サルキアッポーネ Massaria di Sarchiappone」はサルキアッポーネ家がはじめたアグリトゥーリズモだ。アントニオ・サルキアッポーネ Antonio Sarchiappo… 続きを読む
「イル・フェウドゥッチョ Il Feuduccio」ことIl Feuduccio di Santa Maria d’Orniはキエーティから南に15kほど行ったオルソーニャ Orsognaにある。アンヌンツィアータ自然保護区 Parco Territoria… 続きを読む
キエティ内陸部、フリーザにある「コッレフリージオ Collefrisio」は2004年創業の若いワイナリーだ。ともにブドウ栽培農家の三代目同士であるアメデオ・デ・ルカ Amedeo De Lucaとアントニオ・パルティチェッリ Antonio Patrice… 続きを読む
「オリヴァストリ Olivastri」はサン・ヴィート・キエティーノから内陸に5kmほど入った場所にある家族経営のワイナリーだ。1890年農家に生まれたトンマーゾ・オリヴァストリ Tommaso Olivastriは第一次世界大戦に従軍、その功績からカヴァ… 続きを読む
ディ・カルロ Di Carlo家が所有する「アグリヴェルデ Agriverde」は1800年代からワインを生産する老舗ワイナリーだ。1830年12月13日、カミッロ・ディ・カルロ Camillo Di Carloが父に送った手紙には最初の輸出の記録がこんな風に書… 続きを読む