「ドルチェ・マエストロ」イジニオ・マッサーリの世界
TV番組「Master Chef」にも出演するなど、現在イタリアを代表する「アルタ・パスティッチェリア=高級菓子」の第一人者として活躍するイジニオ・マッサーリは第二次世界大戦中の1942年ブレシアに生まれる。母は料理人、父は食堂の店長という料理人一家にイジニオが生まれたのはもはや運命だったといってもいいだろう。16歳から地元の製パン店で働き始めたイジニオは最新の技術を学ぶためスイスに向かい、4年間ペイストリーとチョコレートを学ぶ。しかしイタリアに戻ったイジニオを待ち受けていたのは不幸なバイク事故だった。若きイジニオは長期間の入院生活とリハビリを余儀なくされてしまう。それでも菓子への情熱を捨てきれないイジニオは社会復帰を成し遂げ、老舗菓子メーカー「バウリ Bauli」の技術革新部門責任者として採用される。これがイジニオの第二の人生のスタート。さらに料理用ブロードなどで知られる「スター Star」の技術製造部門責任者を経て1971年地元ブレシアに「パスティチェッリア・ヴェネト Pasticceria Veneto」をオープン。ここからがイジニオの才能が一気に花開く、第三の人生の始まりといっていいだろう。 1985年にはイタリア初となる菓子選手権 Campionato Italiano di Pasticceriaの発起人となりブレシアでの開催に尽力。翌1986年には「ブレシア菓子職人組合 Consorzio Pasticcieri Brescianiを創設。現在も会長を勤めている。さらに1993年には「イタリア菓子マエストロ学会 L’Accademia dei Maestri Pasticceri Italiani (AMPI) を創設。その成果は1997年の世界大会「Coupe du Monde dela Patisserie」イタリア代表初優勝となって現れた。イジニオはイタリア代表コーチとして参加したがこれはイタリア菓子界にとってはエポック・メイキングなできごと。この優勝を期にイジニオ・マッサーリの名は世界中に知れ渡ることになる。ちなみに1997年イタリア代表のメンバーにはルイジ・ビアセット Luigi Biasetto(Pasticceria Biasetto,PADOVA), クリスティアン・ベデスキ Cristian Bedeschi,そしてルカ・マンノーリ Luca Mannori(Luca Mannori,PRATO)という現代イタリアを代表する巨匠たちがいたことも特筆すべき点だ。 ガンベロ・ロッソ Gambero Rossoの年間最優秀Pasticceriaはじめ、受賞、表彰回数はなんと300回超。イタリア菓子界の歴史において最も成功した人物であることは間違いない。また、来年80歳を迎えるというのにTV、講演、出版と、近年これまで以上に勢力的にイタリア菓子技術の普及のため活動を続けている。日本にはイタリア料理店はたくさんあるのに、イタリア専門菓子店があまりにも少なすぎる、とはイタリア人シェフはじめ料理関係者が来日のたびに口にする言葉だ。イジニオ・マッサーリの一連の活動がイタリア菓子を目指す若い世代の人々の刺激となり、日本でもイタリア高級菓子の世界がさらに開かれんことを願う。 SAPORITA BOOKSSAPORITAをもっと見る
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