イタリアの老舗料理店06 カンティーナ・ド・モーリ 創業1467年
迷路のようなヴェネツィアの街を歩いていると、細い路地の突き当たりに薄暗い電灯がともり、何やら怪しげな酒場に地元の男たちがたむろしている光景に出会うことがよくある。間口一間ばかりの店はカウンターのみ。ガラスのショーケースにはさまざまなつまみが並び、店主… 続きを読む
迷路のようなヴェネツィアの街を歩いていると、細い路地の突き当たりに薄暗い電灯がともり、何やら怪しげな酒場に地元の男たちがたむろしている光景に出会うことがよくある。間口一間ばかりの店はカウンターのみ。ガラスのショーケースにはさまざまなつまみが並び、店主… 続きを読む
イタリア半島のつけね、気候温暖なリヴィエラ海岸の中央に位置するジェノヴァはイタリア最大の港町で、かつてはヴェネツィアと地中海の覇を競い合った海洋共和国であった。コンスタンチノープルの陥落で地中海の足場を失うものの、クリストファー・コロンブスら優秀な船… 続きを読む
トリノの旧市街にカルロ・エマヌエーレ二世という名の広場がある。冬の夜には現代アーティストによる照明が灯り、なんとも暖かい気分にさせてくれる広場だが、その中央に統一イタリア初代首相エミリオ・ベンソ・カヴールの像が立っている。皇帝アウグストゥスのように長… 続きを読む
ミラノを訪れたなら必ず一度はヴィットリオ・エマヌエーレ二世のアーケード、通称ガッレリアに足を運ぶことだろう。大聖堂ドゥオモから人ごみをかきわけて巨大なアーチをくぐりぬけると、冬でも陽光降り注ぐガラスの回廊ガッレリアに出る。イタリア統一直後の一八六五年… 続きを読む
モーダ都市ミラノではレストランの流行廃りが他の都市とは比べ物にならないくらい早い。和食が流行ったかと思えば次はワインバー、今度は魚料理。果たして次の流行は?と誰もが予測するような風潮は東京に近い感覚がある。逆に言えばなんでも広い選択肢がある大都会。さ… 続きを読む
はじめて「マスエッリ」を訪れたのはある秋の昼食時のことだった。店があるのは市内中心部から歩いて行くには少々遠いウンブリア大通り。戦前はミラノ市郊外で何もないところだったそうだが、現在はミラノをとりまく外周道路の一部で、イタリア鉄道ポルタ・ヴィットリア… 続きを読む
イタリアを旅すると、どこの街にも必ずある「老舗料理店」というキーワードに惹き付けられ、無性にその扉を開けてみたくなってしまう旅人は、きっと私だけではないことと思う。風雪に耐え抜き、頑なまでに伝統の味を守り抜き、装飾も創業当初のまま。一朝一夕には作れな… 続きを読む
ミラノを訪れたなら必ず一度はヴィットリオ・エマヌエーレ二世のアーケード、通称ガッレリアに足を運ぶことだろう。大聖堂ドゥオモから人ごみをかきわけて巨大なアーチをくぐりぬけると、冬でも陽光降り注ぐガラスの回廊ガッレリアに出る。イタリア統一直後の一八六五年… 続きを読む
モーダ都市ミラノではレストランの流行廃りが他の都市とは比べ物にならないくらい早い。和食が流行ったかと思えば次はワインバー、今度は魚料理。果たして次の流行は?と誰もが予測するような風潮は東京に近い感覚がある。逆に言えばなんでも広い選択肢がある大都会。さ… 続きを読む
はじめて「マスエッリ」を訪れたのはある秋の昼食時のことだった。店があるのは市内中心部から歩いて行くには少々遠いウンブリア大通り。戦前はミラノ市郊外で何もないところだったそうだが、現在はミラノをとりまく外周道路の一部で、イタリア鉄道ポルタ・ヴィットリア… 続きを読む