イタリア縦断鉄道の旅03コロンブスの像が旅人を見守るジェノヴァ
5分遅れでニースからやって来た15時05分発ジェノヴァ行きエウロシティ「サンレモ号」に乗り込む。これはコンパートメント・タイプの客車で同席は2人のフランス人男性。
サンレモ、インペリア、アルベンガ、右手に見えるのははどこまでも続く青い海。西リヴィエラ、… 続きを読む
5分遅れでニースからやって来た15時05分発ジェノヴァ行きエウロシティ「サンレモ号」に乗り込む。これはコンパートメント・タイプの客車で同席は2人のフランス人男性。
サンレモ、インペリア、アルベンガ、右手に見えるのははどこまでも続く青い海。西リヴィエラ、… 続きを読む
翌朝目が覚めると、トリノの街は濃い霧に包まれていた。朝早くにホテルからタクシーで郊外に向かう。目指すのはサッシ広場。トリノを見下ろすスペルガの丘へ と上る「サッシ・スペルガ線Tranvia a Dentiera Sassi – Sperga」の始発駅で、丘の上に… 続きを読む
旅のはじまりはいつもミラノ中央駅だった。
1970年の映画「ひまわり」はロシア戦線に送られたまま生死不明のマルチェロ・マストロヤンニを、妻ソフィア・ローレンがソ連まで探しに行く話だが、出征直前に二人が最後の抱擁を交わしたのも最後の別れの場となったのもこ… 続きを読む
第二次大戦後の社会復興において、イタリアは交通の基盤を鉄道でなく自動車に求めたことはその後のイタリア人のメンタリティも大きく変えることになる。私の知り合いイタリア人は「タバコを買いに行くのもクルマ」と公言して憚らないし、私が鉄道で旅するというと「何で… 続きを読む
美しく広がる車窓に心ときめかせ、まだ見知らぬ街の降車駅に思いを馳せる。トラブルなく時間通りに終着駅につくと、真っ先に出迎えてくれるのは笑顔が優しい赤帽さん、ホームに並ぶ列車はどれも顔が写るほど磨き込まれ、構内には焼きたてのパンの香りが漂う。ああ、この… 続きを読む
市内中心部からちょっと離れたジョベルティ通り。サンタンブロージョ市場から歩いて15分ほどの場所にある「ボナッティ」は1934年創業の老舗。旧市街によくあるような、みやげものと一緒にワインも置いちゃう、という軟弱エノテカとはひと味もふた味も違う正真正銘… 続きを読む
サンタンブロージョ市場広場のすぐ傍に、「リストランテ・チブレオ」「チブレオ・チブレイーノ」「カフェ・チブレオ」の三つが集まる一角がある。名付けて、チブレオ・タウン。料理人ファビオ・ピッキ率いるフィレンツェ食の本山の一つだ。ファビオの料理は、母より受け… 続きを読む
ポンテ・ヴェッキオからわずかの距離にある「カッミッロ」もまた、激動の時代を生き抜き、フィレンツェ・レストラン史の変遷を見守って来た老舗の一軒である。第二次大戦中に食料品店として創業したものの爆撃を受け、現在の場所に移転したのが1945年。以来60年あ… 続きを読む
「カンビ」がアルノ川対岸地区、サンフレディアーノに誕生したのは1950年のこと。当初は従兄弟同士のシルヴァーノとブルーノがワインの量り売り兼、ワインを飲ませ簡単なつまみも出す「フィアスケッテリア」としてオープン。間もなく当時アルノ川の川砂利をすくって… 続きを読む
フィレンツェ旧市街からはちょっと離れた小高い丘の上にある眺めの良いレストラン。歩いても行けないことはないがやや遠いのでタクシーに乗るのが無難。たいていは住所をいわなくても「リストランテ・オメロ!!」で通じるはず。ローマ門から街の南へ出てポッジョ・イン… 続きを読む