イタリア縦断鉄道の旅10 イタリア半島最南端カラブリア
翌朝再びパスクアーレにナポリ中央駅まで送ってもらい、レッジョ・ディ・カラブリア行きESはナポリ中央駅でなく、その地下にあるピアッツァ・ガリバルディ駅から出る。地下鉄駅のように薄暗い構内にはバールも売店もなく、あまり長居したい雰囲気ではない… 続きを読む
翌朝再びパスクアーレにナポリ中央駅まで送ってもらい、レッジョ・ディ・カラブリア行きESはナポリ中央駅でなく、その地下にあるピアッツァ・ガリバルディ駅から出る。地下鉄駅のように薄暗い構内にはバールも売店もなく、あまり長居したい雰囲気ではない… 続きを読む
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅を6時40分に出発したエウロスターES9421、ETR500は定刻通りの8時30分、ローマ・テルミニ駅に着いた。駅のホームは乗降客が慌ただしく行き交う、活気あふれる時間帯である。
南イタリアへの旅の… 続きを読む
翌朝、ボルツァーノには厚い雲が立ちこめ、しとしとふるいやな雨。駅のバールでカプッチーノを飲みながら見ていると、ボルツァーノ駅に到着する列車はどれも超満員で車内のガラスは白く曇り、ドアが開くとものすごい勢いで人が吐き出されてくる。ちょうど朝の通勤、通学… 続きを読む
翌朝10時46分発のレジョナーレでボルツァーノへ戻る。到着は定刻通りの11時25分。ケーブルカー乗り場近くにある、ボルツァーノの定宿ホテル・スカラHotel Scala(www.scalahot.com/)に荷物を置き、レセプションの若い女… 続きを読む
翌朝7時に駅近くのホテルを出る。駅のバールでカプッチーノを一杯。これから北東イタリアを代表する山岳リゾート地ドロミティを3日間かけて一周する旅へと出発する。7時41分発の各駅停車レジョナーレは2両編成のディーゼル・カー。トレントまでの15… 続きを読む
東北イタリアを旅する際に起点となるのは、いつもヴェネツィア・サンタ・ルチア駅である。本土側のメストレ海上に作られた線路で結ばれる1841年まで、1000年間に渡ってヴェネツィアへの唯一のアプローチは水路であった。ナポレオンによって共和国の歴史に終止符… 続きを読む
5分遅れでニースからやって来た15時05分発ジェノヴァ行きエウロシティ「サンレモ号」に乗り込む。これはコンパートメント・タイプの客車で同席は2人のフランス人男性。
サンレモ、インペリア、アルベンガ、右手に見えるのははどこまでも続く青い海。西リヴィエラ、… 続きを読む
翌朝目が覚めると、トリノの街は濃い霧に包まれていた。朝早くにホテルからタクシーで郊外に向かう。目指すのはサッシ広場。トリノを見下ろすスペルガの丘へ と上る「サッシ・スペルガ線Tranvia a Dentiera Sassi – Sperga」の始発駅で、丘の上に… 続きを読む
旅のはじまりはいつもミラノ中央駅だった。
1970年の映画「ひまわり」はロシア戦線に送られたまま生死不明のマルチェロ・マストロヤンニを、妻ソフィア・ローレンがソ連まで探しに行く話だが、出征直前に二人が最後の抱擁を交わしたのも最後の別れの場となったのもこ… 続きを読む
第二次大戦後の社会復興において、イタリアは交通の基盤を鉄道でなく自動車に求めたことはその後のイタリア人のメンタリティも大きく変えることになる。私の知り合いイタリア人は「タバコを買いに行くのもクルマ」と公言して憚らないし、私が鉄道で旅するというと「何で… 続きを読む